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「アキハバラ∧デンパトウ」の見本誌

GA文庫編集部より、「アキハバラ∧デンパトウ」の見本誌を送っていただきました。

※画像をクリックして拡大してご覧ください。
デンパトウ見本誌


表紙はれい亜先生による描きおろし、ロゴをはじめとするデザインはデザイナーの柊椋さんにしていただきました。

表紙絵は、傘をふりあげるペンネをローアングルで撮るという、従来のラノベでは見られなかったすばらしいものになっております。
手前にあるエンジニアブーツとカモメの翼をナメるように撮り、奥には電波塔のアンテナも建っているため、奥行き感のある絵です。

じつはラノベの表紙では、こういう奥行き感のある「縦の構図」というものは多くありません。
おそらくロゴデザインを置く関係や、表紙サイズの制約とも関係していると思うのですが、人物が二人ならんでいたりする「横の構図」が多いのです。

しかしれい亜先生は、いろいろと制約のあるなかで、これまでになかった構図を見事に成功しておられます。
アオったカメラアングルのほか、ペンネのふりあげる傘の軌跡や、髪のなびき、めくれるバスクシャツの裾、手前に飛んできているカモメの翼など、さまざまな要素を使って動的なイラストに仕上げています。
帯で隠れていて画像では見えませんが、ペンネの足が接する床もレンズ収差で彎曲してあり、それも動きの表現につながっております。

じつは、ガンガンGAの連載時に使っていたトップイラストがあまりにもすばらしく、当初はこのイラストをそのまま表紙に使わせていただこうと思ったのですが、担当さんのご意見でもう一枚描いていただくことになりました。

その結果、このようなすばらしいイラストを描いていただき、一体どちらのイラストを表紙にしたらよいのだろうという、贅沢な悩みが発生してしまいました。
ラノベ作家としては至福の瞬間ですね。(^^)

さんざん悩んだ結果、初出のイラストということもあり、描きおろしていただいたイラストが表紙ということになりました。
もちろん、連載時にトップにあったカラーイラストも、ちゃんと口絵に収録されております。こっちのイラストもほんとすばらしいんですよ~。
ちなみに、連載時のイラストの季節は物語冒頭の「春」で、今回の表紙イラストの季節は物語クライマックスの「夏」です。
青空の色や雲の形、陽射しの強さの変化などによって、見事に季節のちがいが表現されています。

ほかの口絵もすごいですよ! あんまりいうとネタバレになるからいえないけど、ぜひ店頭でお手にとってご覧になってください。絶対買いたくなりますから。

モノクロイラストも、通常のラノベよりも多い12枚を描いていただきました!(通常は10枚が多い)
作家としても、れい亜先生の一ファンとしても、本当にうれしいです。

いやあ、ラノベ作家やっててよかったです、ほんと。
惚れこんだ才能といっしょにお仕事ができる幸せというものは、言葉では言い尽くせません。

デザイナーの柊椋さんには、ロゴデザイン案を複数だしていただきました。
そのなかでも今回採用されたロゴは、直線的で線の太さに強弱がついており、硬質かつモダンな印象で、デンパトウの世界観にぴったりです。
また、ロゴは赤一色なため、特色で刷っていただきました。(お金がかかるそう)
写真で見るよりも実際にご覧になったほうが、その綺麗さがよく伝わるかと思います。
作者名のとなりにある、携帯のアンテナ表示のようなマークも、とてもデンパトウの世界観に合っていてニヤリとします。
口絵や帯のデザインも、すごく凝った形にしていただきました。

れい亜先生のイラストと柊椋さんのデザインのおかげで、これまでにない新鮮な印象の本に仕上がりました。

そして、帯のコメントです!

大沼監督ぅぅぅぅぅううううううううううう!!

僕のあこがれの方にコメントを書いていただきました!
名作「ef - a tale of memories.」のときから大ファンであります。
以降、大沼監督の手がけられた作品はすべて観させていただいております。

大沼監督は、GA文庫原作の「のうりん」や「落第騎士の英雄譚」の監督もされております。

しかし、両作品とも、僕の担当の佐藤さんとはちがう編集者が担当されているんですよね。
なので、僕の担当さんと大沼監督は面識がありませんでした。
それなのに、SILVER LINK.さんを通じて大沼監督にオファーをかけていただき、コメントをいただけることになりました。

担当さんすげえ!

本当に、この作品にたずさわってくださる人は、すばらしい方々ばかりです。

自分としては、コメントもそうですが、大沼監督に小説を読んでいただけたことがまずうれしかったです。
あこがれの方に作品を読んでいただけるなんて、天にものぼる気持ちであります。
大沼監督に受けていただけることがわかって以来、ずっと初恋の少女のようなふわふわ状態で日々を過ごしておりました。

そして帯では、泡状内言法主副並行会話文という、作中で使っている表現手法を使ってコメントを書いてくださいました。
なるほど、このテクニックってこう使えばよかったのか!

あぁ~、うれしいよぅ~! このよろこびを多くの人に自慢したいよぅ~!

「バキ」の板垣恵介先生が、「劇画村塾」ではじめて小池一夫先生にマンガを褒められたとき、すっかり有頂天になって、「まわりのやつらがみんなバカに見えて、俺が最強だっていう気分になった」というようなことをおっしゃっていましたが、いまの自分はまさにそんな気分であります。

大沼心監督という虎の威を借りて、えらそうな狐になるぞ俺は!


もう最高です! 見本誌が届いたあと、ずっとこの本に頬ずりしてました!
そのあと一晩抱いてねんねしました。(^^)
見本誌は十冊届くので、一冊は僕にさんざん愛撫されることになるのです。

「アキハバラ∧デンパトウ」はGA文庫の公式サイトでは10月15日発売となっておりますが、15日は土曜日なので、14日(金)に発売される可能性が高いかと思います。
Amazonさんのページでは10月14日発売となっております。

自分としても、現在までの最高傑作を書いたつもりです。
作品に関わってくだすった方々のすばらしい仕事ぶりと合わせ、楽しんでいただけたら幸甚です。

ああ~、ほんとにうれしいよ~!(^^)

「七つの大罪 聖戦の予兆」3話の石井俊匡演出

個人的に注目しているA-1 Picturesの演出家、石井俊匡さんについてまた書こうと思います。
過去にも二度とりあげました。

「僕だけがいない街」2話の石井俊匡演出
「四月は君の嘘」18話の石井俊匡演出

今回とりあげるのは、「七つの大罪」のアニメ二期(というより番外編?)である「七つの大罪 聖戦の予兆」です。
七つの大罪は原作マンガのほうは読んでいるのですが、一期のアニメはまだ観ておりません。
今回の二期は番組編成が特殊で、まず「アルスラーン戦記」の二期を8話までやって終わらせたあと、残り4話を「七つの大罪」の二期に当てるというものでした。

アルスラーン戦記は一期・二期ともに観ておりますので、七つの大罪も引きつづき録画しておりました。
石井さんは3話の絵コンテ・演出をされております。

さて、石井さんは、構図に強い意図をこめる演出をされることがありますが、この3話でも見られました。

七つの大罪 聖戦の予兆3話①


右側に立つピンクの服を着た「ディアンヌ」が、街の復興を手伝っているシーン。
自分の正体が巨人族であることを街の人たちに告げ、場に緊張が走ります。
このとき、向き合う両者のあいだに、積みあげられた煉瓦の柱があり、「壁」のような役割を果たしています。
これにより、両者の懸隔をあらわしているわけですね。(煉瓦の柱というより、壁の一部かも)

上記カットのまま、じわっとT.Bしながら、十秒ほど会話がつづけられます。
左側にいる街の人たちが、「あのときはひどい仕打ちを……」とディアンヌに謝罪の言葉を述べます。

そのあと、ディアンヌのほうから一歩を踏みだして煉瓦の柱を通りすぎ、落ちていたハンマーを拾って渡してあげます。

七つの大罪 聖戦の予兆3話①
七つの大罪 聖戦の予兆3話①・②
七つの大罪 聖戦の予兆3話②
七つの大罪 聖戦の予兆3話④
七つの大罪 聖戦の予兆3話⑤
七つの大罪 聖戦の予兆3話⑥

「ハイ。はやく作業をつづけないと陽が暮れちゃうよ?」

この「煉瓦の柱」を通りすぎることで、両者を隔てるものはなくなり、過去のわだかまりが消えたことを示しています。
とてもよい演出だと思うのですが、しかし一連の引用画像をよく見てみると、「煉瓦の柱を通りすぎた演出上の意図」が少々わかりづらい組み立てになっているようにも感じられます。

それは、ディアンヌが一歩を踏みだして煉瓦の柱を通りすぎたあと(3枚目)、ディアンヌを背中側から映しているからです(4・5枚目)。

どうしてディアンヌを背中から撮ったのでしょうか?
たとえば、「僕だけがいない街」の2話では、石井さんは以下のようにわかりやすく「木の壁」を通りすぎさせております。

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「通りすぎる前」と「通りすぎた後」が同じアングルで描かれているため、一目で「両者の心の距離が縮まった」という演出意図が伝わります。

どうして今回はこのようにしなかったのでしょうか?
それは、話の流れ上、ディアンヌが落ちているハンマーを拾ってさしだすアクションを描かなければならなかっためと思われます。

ここで一つ問題が起きます。

ディアンヌがハンマーを拾いあげる画を入れてしまうと、視聴者に一瞬「このハンマーで街の人を殴るのか?」と思わせてしまうおそれがあるのです。
そんなバカな、と思われるかもしれませんが、「無言で鈍器を拾いあげる」という映像は、強烈な連想を視聴者にあたえます。
たとえ一瞬だけでも視聴者にそういう懸念をいだかせてしまうと、この和解のシーンのよさが台なしになってしまいます。

そこで、ディアンヌを背中から撮ることにしたのだと思います。
ハンマーを拾いあげる姿を直接的に描かないようにするには、こうするしかありません。
ようやくハンマーが描かれるのは、街の人たちに「ハイ。はやく作業をつづけないと陽が暮れちゃうよ?」といいながら手渡す6枚目のカットになってからです。ここまでくれば、もう誤解は生じません。

このカットの組み立ての結果、「煉瓦の柱を通りすぎる」という演出意図が少しだけわかりづらくなっていますが、こういう繊細な配慮はとても大切なことだと思います。

また、今回観ていて感じたのですが、石井さんのうまさは絵コンテだけでなく、演出処理の部分にもあるようです。
一カットごとの作りが丁寧ということと、カットをつなぐ編集がうまいということですね。
編集感覚というものを静止画で伝えることは難しいのですが、たとえば以下のシーン。

七つの大罪 聖戦の予兆3話⑦
七つの大罪 聖戦の予兆3話⑧
七つの大罪 聖戦の予兆3話⑨
七つの大罪 聖戦の予兆3話⑩
七つの大罪 聖戦の予兆3話⑪
七つの大罪 聖戦の予兆3話⑫
七つの大罪 聖戦の予兆3話⑬
七つの大罪 聖戦の予兆3話⑭


おなかがすいたと答える「キング」の手をディアンヌがとり、駈けだすところ。
キングのみぞおちのあたりを撮っていたカメラが、ショットサイズそのままに、カットが変わるとディアンヌの後頭部を撮る形に変化します。
そしてディアンヌのツインテールの髪が一瞬キングの目を隠し、そのまま右方向へ流れていきます。
この「目隠し」を入れることで、そのあとのキングのおどろいた表情がより際立つというしかけです。

また、この髪が尾を引くことによって、ディアンヌが急に動きだしたことがちゃんと視聴者に伝わるようになっています。
たぶんこの髪が残っていなかったら、速すぎてディアンヌがなにをしたか視聴者に伝わらなかったでしょう。

この一連の動きの編集感覚がすばらしいと思いました。
一カット一カットの長さが適切で、これ以上速くても遅くても、よい効果を生まない気がします。

このあとに起きる、ディアンヌとキングの追いかけっこ開始のときもそうですね。

七つの大罪 聖戦の予兆3話⑮
七つの大罪 聖戦の予兆3話⑯
七つの大罪 聖戦の予兆3話⑰
七つの大罪 聖戦の予兆3話⑱


うーん、静止画じゃ伝わらないですね、やっぱり。
ぜひ実際に映像をご覧になっていただきたいと思います。

キングの台詞が終わらないうちに急に駈けだすディアンヌのスピード感がよく表現されています。
とくに1枚目から2枚目に移るとき、ディアンヌの後頭部だけを映すことで、動きだしのスピード感をあげています。
それから3枚目・4枚目ではカメラを引いて、視聴者になにが起きたかわかるようにしています。
「寄ったカットでスピードをあげて、引いたカットで説明する」というふうに、めりはりをつけています。
ここら辺の感覚がとても心地よい。

画像はカットしますが、教会の前で、キングの頭に煉瓦が落ちてくるところもいいですね。
唐突でありながら、音の効果も相まってちゃんと理解できるようになっている。

また、石井さんの場合、バトルなどでも安易にダブルアクションやトリプルアクションで強調することをせず、しっかりした編集感覚のもとにアクションつなぎで一発で魅せるところがいいなぁと。

この話数はほかにも、結婚式のシーンで投げられた花びらが、カットごとに流れる方向を変えてメリハリをつけていたりするところとかよかったのですが、引用画像が厖大になるため省略します。

それと、キングがディアンヌに「記憶がもどっているんじゃないか」とたずねるシーンも、教会のステンドガラスがぼうっと光ってとても綺麗なのですが、これも省略します。
説明するまでもなく、観た人はだれもがよいシーンだと思うはずなので。

最後にとりあげたいのが、物語のクライマックスである、二人で城壁のへりに腰かけるシーン。
二人の動きが、一カットのなかで八秒にわたって丁寧にえがかれます。

七つの大罪 聖戦の予兆3話19
七つの大罪 聖戦の予兆3話20
七つの大罪 聖戦の予兆3話21
七つの大罪 聖戦の予兆3話22
七つの大罪 聖戦の予兆3話23
七つの大罪 聖戦の予兆3話24
七つの大罪 聖戦の予兆3話25
七つの大罪 聖戦の予兆3話26
七つの大罪 聖戦の予兆3話27
七つの大罪 聖戦の予兆3話28


アニメーターさんが相当がんばったカットだと思います。
動画を挟まないで、ぜんぶ原画で描いているのではないでしょうか。

派手なアクションシーンとはちがい、なにげない動きのように見えますが、リアルな演技が要求される難しいカットです。
通常であれば作画の省エネのため、最初から二人がすわった状態からシーンをはじめるか、すわるしぐさの途中でカットを割って済ますと思います。(すわる過程を省略する)

どうしてたいへんな労力をかけて一カットで見せたかというと、やはり重要なカットだからです。
じつは、この3話の冒頭で、二人はいっしょに花火を見ているのですが、そのときキングはディアンヌのとなりに腰かけることはできませんでした。

七つの大罪 聖戦の予兆3話29
七つの大罪 聖戦の予兆3話30


それが話の後半では、キングはちゃんとディアンヌのとなりにすわれるようになった――二人の距離が縮まって向き合えるようになった、ということを演出で強調する必要があったわけです。
いっしょにすわるしぐさを、カットを割って見せてしまうと、その重要性が見えづらくなってしまいます。
こういうふうに一カットのなかで時間をとって一連の動きを見せてこそ伝わるのだと思います。


以上、石井さんの演出を自分なりにとりあげてみたのですが、やっぱりいいですね。
演出に一貫性があって、品が感じられます。

タイプ的に、静止画をならべても魅力を伝えやすいということも、素人批評家としては助かるところです。
たとえば、大沼心監督や石原立也監督のような方々の演出は、批評するときに動画形式で引用しないと、そのよさが十分に伝えられない気がします。
ご両者とも何度かこのブログでもとりあげようと思ったのですが、自分の実力では静止画だとうまく魅力を解説できないのです。

かといって、GIFとかで動画をブログに載せて解説するのは著作権的に「引用」の範疇に入るのだろうか、という懸念があります。(たぶん平気だとは思うのですが)

一方、この石井俊匡さんや高雄統子監督のようなタイプは、もちろん映像で示すのが一番魅力を伝えられるのですが、今回のように画像を何枚か貼って説明していく形であっても、僕のような素人でもあるていどは魅力を伝えられる気がします。

どちらのタイプの演出がすぐれているかという話ではなく、魅せ方の傾向がちがうのですね。

自分の勉強のためにも、これからもアニメの記事をちょくちょく書いていけたらと思います。

『學王 ―The Guck War―』の公開

未発表の長篇小説、『學王 ―The Guck War―』をPDFで公開します。

ダウンロードはこちら。

以下に、あらすじ・舞台・キャラ紹介・執筆のいきさつを書きます。

――――――――――――――――――――――――――――――
●あらすじ●

――社会学、政治学、心理学、経営戦略、奇術トリック、盗聴、統計パラドックス――
 あらゆる手段を『悪用』し、学園の王へと成りあがれ!
 謀略の渦巻く学園でくり広げられる、下剋上ストーリー!

・高一の切野令司は、絶海の孤島にある中高一貫のエリート校『學閻(がくえん)』に転校する。
「社会科学を応用した学園学によって生徒たちを幸せにしたい」と善良そうに語るが、その真の目的は學閻の権力を掌握し、『學王』に成りあがることだった。
 學閻には生徒たちによる二つの自治組織があった。制服組のエリートたちが支持する『學徒會』と、落ちこぼれの私服組が支持する『ホトリ団』だ。両者は敵対しており、學閻祭でおこなわれる選挙に向けて争っていた。
 令司は學徒會長の歌胤保笑夢と共謀し、ホトリ団にスパイとして入る。一方、ホトリ団団長の苑崎果無は、元々は『 』(カッコ)という學閻の知の象徴であったが、「悪魔のように悪を為すため」にその任を辞したと令司にうそぶく。
 果無と令司はさまざまな知識を悪用し、劣勢だったホトリ団の支持をどんどん広げていく……。
 そんな彼らの前に、予想外の権力者が立ちはだかり、権力闘争は思いもよらぬ展開を迎える。


――――――――――――――――――――――――――――――
●舞台●

・太平洋上にある『學門島』という小さな島。
 人口は約六千名。そのうちの三千名超が、私立の中高一貫のエリート校である『學閻(がくえん)』の生徒である。
 學門島の名のとおり、島まるごとが學閻の施設となっており、本土の膝下を離れてやってきた中高生たちが寮生活をしながら勉強に励む。
 また、學閻の生徒たちはみな、上位一パーセントの優秀者を除き、なんらかの労働の義務を負っている。しかも、労働によって稼いだ給料も、学業成績が低いものほど税金としてとられてしまう。そのため、劣等生たちのあいだに不満が溜まり、優秀な生徒たちが指示する『學徒會』と、劣等生たちが指示する『ホトリ団』とのあいだで激しい対立が起きている。


――――――――――――――――――――――――――――――
●登場人物●

・切野令司――(きりのれいじ。高一。學閻に転校してきた少年。『學王』に成り上がる野心をいだきながら、ふだんは良識人の仮面をかぶる)

・苑崎果無――(えんざきはかな。高二。ホトリ団の団長。かつて學閻の知の象徴だった天才少女)

・歌胤保笑夢――(うたたねぽえむ。高二。學徒會會長。選挙に勝つため、切野令司をホトリ団へと送りこむ)

・御御御ミハル――(おみおみはる。高一。切野令司のクラスメイト。英系三世の美少女)

・ベリアル――(翼の生えた黒猫。カラスのように鳴く。苑崎果無のペット)

・大剣寺熾道――(だいけんじしどう。四十五歳。學閻のOB会会長。もと學王にして、現・内閣総理大臣)
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※執筆から公開に至る経緯は小説末尾のあとがきに書きましたが、以下にも引用します。

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 本作が完成するまで、とても長い年月がかかってしまいました。
 もとの企画は二〇一〇年に作ったもので、いまの内容とはちがい、『とある学園に〝隅庭会〟という用務員のような仕事をする団体があり、そこに所属する〝わき役〟のような生徒たちが、隅庭会の仕事を通じて〝主役〟になるために奮闘する話』というものでした。
 企画の趣旨としては悪いものではないと思っていたのですが、実際の執筆にとりかかるには、そこからプロットを十回以上も変えなければなりませんでした。
 ようやく執筆に入っても、そこから完成するまでにまた多くの時間が必要でした。当時の自分はたいへんなスランプで、なにを書いても満足できない状態でした。自分の力不足はいうに及ばず、小説というジャンル自体に不信感を持っていたのだと思います。
 何度か大幅な改稿をくり返して、ひとまず小説が完成したのは、二〇一二年の八月のことでした。タイトルは『ほとりの学園戦線』で、苑崎果無や歌胤保笑夢は登場するものの、本作の『學王』とは設定からストーリーからまったくちがうものでした。
 この『ほとりの学園戦線』、某レーベルから出版する予定だったのですが、諸般の事情で実現しませんでした。そのあと、べつのレーベルの編集者にお見せしたのですが、そちらでも色よいお返事をいただけませんでした。また、当時の自分は社会科学に関心を持っており、「学園物に社会科学の要素をつけ加えてみたい」という思いが日増しに強くなり、自分でも『ほとりの学園戦線』のできに満足できなくなってしまいました。そうしてこの作品はお蔵入りとなり、設定を一新して書き直すことにしたのです。それが本作の『學王』になります。
――――――――――――――――――――――――――――――

アニメにおけるスカートの演出

アニメにおけるスカートの演出について、ちょっと思ったことを。

「宮崎駿の世界」という本がありまして、そのなかでプロデューサーの鈴木敏夫さんと映画監督の石井克人さんの対談があります。



そこで、近藤喜文監督の「耳をすませば」について、鈴木敏夫さんが興味深いことを仰っていたので、以下に引用します。

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地球屋という店が出てきて、雫が猫のムーンと一緒に壁にもたれながら、床にへたりこむというシーン。絵コンテだと、へなへなっとへたりこむんです。もちろん、誰の目も一切気にしない。ところが近藤喜文が何をやったかというと――。雫は中学生でスカートが短いんですね。だからへたり込む時に、スカートを折りたたむんです。それで、脚を揃えてパンツが見えないように座るんですよ。もし、あの演出を宮さんがやっていたら、確実にパンツが見えちゃうんですよね。
 これを見ていると、面白いことが解るんですよ。宮さんがやっていたら、快活な女の子がパッとへたり込んだようにしか見えない。ところがその子は、すごく気にしながら座るでしょ。やたらエッチなんですよ。

――「宮崎駿の世界」012P――
――――――――――――――――――――――――――――――


これは、以下のシーンですね。

耳をすませば①
耳をすませば②
耳をすませば③
耳をすませば④


監督は近藤喜文さんですが、脚本・絵コンテは宮崎駿さんがされています。
鈴木敏夫さんいわく、宮崎さんの絵コンテでは、雫はスカートを折りたたまずにへたりこむように描かれていたようです。
上記引用画像を見ると、それだとまちがいなくパンツが見えちゃいますね。
近藤監督の判断で、スカートを折りたたむようになったとのことです。

このことについては、宮崎駿監督も「続・風の帰る場所」に収められているインタビューで、間接的におっしゃっています。

――――――――――――――――――――――――――――――
「(略)たとえば『耳をすませば』の時は絵コンテまで切ってますけど、全然違う映画になってますね。キャラクターの挙動によって、性格まで違ってくるんです。(略)」

――「続・風の帰る場所」102P――
――――――――――――――――――――――――――――――


しかしここで注目すべきは、鈴木敏夫さんが、「宮さんがやっていたら、快活な女の子がパッとへたり込んだようにしか見えない。ところがその子は、すごく気にしながら座るでしょ。やたらエッチなんですよ。」と仰っていることです。

この意見を見て、はっとしました。
たしかに、人目を気にしてパンツを隠すようなしぐさをすると、その女の子は他人の目(性的な視線)を気にしているということになりますから、色気が感じられます。

宮崎アニメでは、女の子がパンツを気にする描写はあまり見られません。
魔女の宅急便などが代表的ですが、思いきりパンツを見せて飛んでいます。
性的なことにあまり頓着していない(ように見える)のです。

これは宮崎アニメの特徴の一つだと思いますし、ナウシカなどの「戦うヒロイン」という存在とも関係していると思われます。
ジェンダー論の観点からも語ることができるでしょう。

この鈴木敏夫さんの意見を見て、ふと思い起こしたのは、アニメでときおり見られる以下のような表現でした。

・アイドルマスター シンデレラガールズ 18話(監督=高雄統子/絵コンテ・演出=岡本学)
デレマス18話②


一番右にすわっている「双葉杏」という女の子は、スカートを手でおさえておりませんが、なぜかスカートは重力にさからうように持ちあがり、パンツを隠しています。

リアリズムの観点からすると不自然です。
ほかのアニメでもときおり、このように不自然にスカートが持ちあがってパンツを隠す表現が見られます。

昔から僕は、「パンチラさせない方針だったら、スカートを手でおさえさせるなりして隠せばいいのに」と思っていたのですが、上記の鈴木敏夫さんの発言を見て、考えをあらためました。

パンツを気にするかしないかで、そのキャラの性格づけが変わってしまうんですね。
双葉杏はふだんからラフな恰好をしていますから、パンチラとかをあまり気にしないキャラとして設定されています。(女の子ですからパンチラを気にしないということはありえないでしょうが、ふだんはあまり気にするそぶりを見せない)

上記のカットで、もし杏がスカートを手でおさえてしまうと、キャラづけが変わってしまうのです。
なので、不自然にでもスカートのほうを持ちあげて、パンツを隠す必要があったのでしょう。

ちなみに、上記カットの一つ手前のカットで杏は以下のようにしていますが、これはパンツを気にするというより、ただ脚の下で手を組んでいるだけと思われます。(スカートを手でおさえていないため)

デレマス18話①


映っている三人のうち、一番左の「緒方智絵里」は、女の子ずわりをしてちゃんとパンツが見えないようにしています。
中央の「三村かな子」はショートパンツをはいていますから、パンチラを気にする必要はありません。
こうして見ると、すわり方を見るだけで三人の個性がわかるようになっています。

このアニメでは、ほかの回でも、すわり方によってそのキャラの個性がでるように工夫されていました。

・アイドルマスター シンデレラガールズ 17話(監督=高雄統子/絵コンテ=鈴木健太郎/演出=矢嶋武)
デレマス17①


これを見ると、パンチラを気にする子と気にしない子とでわかれているのがよくわかります。
演出家はこういうところでも頭を悩ませるのでしょうね。

ちなみに、京都アニメーションの「Free!」でも、スカートを気にするしぐさがでてきました。

・Free! 2話(監督=内海紘子/絵コンテ=河浪栄作/演出=河浪栄作&太田里香)
Free! 第2話①
Free! 第2話②
Free! 第2話③
Free! 第2話④


スカートのおしりをおさえながらすわるしぐさが丁寧に描かれており、これにより女の子らしさを演出しているのですが、スカートの丈の長さに注目してみてください。
ぶっちゃけ、これだけスカートが短いと、それをやっても意味なかったりします。(膝の裏側にスカートを巻きこめない)

なので、アニメにおいては、立っているときとすわっているときで、スカートの丈を変化させることが多いようです。
上記引用画像の1枚目と4枚目を比べていただくと、すわったときにスカートが少し長くなっているのがわかるかと思います。(それでもまだスカートは短いですが)

アニメのキャラは脚が長くてスカートが短いデザインが多いので、このように工夫する必要があります。
一番上に引用した「耳をすませば」も、よく見ると、すわっているときのカットではスカートが若干長くなっています。

以下は余談になりますが、アニメにおけるスカートの演出で、僕がずっと不思議に思っているのが、「けいおん!!(二期)」の24話です。

・けいおん!! 24話(監督=山田尚子/絵コンテ=山田尚子/演出=山田尚子&坂本一也)
けいおん24話①
けいおん24話②
けいおん24話③
けいおん24話④
けいおん24話⑤
けいおん24話⑥


先輩たちが卒業してしまうのを、後輩の「中野梓」がどこかさびしそうに眺めているシーンです。
BGMもしんみりとしており、感傷的な雰囲気が漂います。
そこへ一陣の風が通りすぎます。
これまでの先輩たちとの思い出が脳裡をよぎるという表現でしょう。

そこまではいいのですが、一瞬、梓のスカートが風でめくれあがり、パンチラしそうになります。
最初これを見たとき、本当にびっくりしました。
感傷的なこのシーンで、どうしてパンチラ未遂のカットが入るのか。
たんに風が吹くことを表現しようと思ったら、髪がなびくだけのカットでもよいはずです。
わざわざスカートをアップにして、内側からまくれあがるようにする必要はないのでは、と思いました。

ぶっちゃけ、これのせいで「あずにゃんのおぱんちゅが見たいお! おぱんちゅおぱんちゅ!」などという欲望で頭がいっぱいになって、そのあとの流れに集中できませんでした。
まぁ、俺が変態なだけなんでしょうけど。

この話の絵コンテを描いているのは山田監督ご自身ですから、これはまぎれもなく監督のめざした演出なわけです。
山田監督の演出ではしばしば、この手の理窟ではいまいち説明のつきづらいカットが入り、作品を彩ります。
それが氏の演出の魅力の一つなのですが、同じ京アニでも武本康弘監督のようなきっちり計算された演出と比べてみると、そのちがいが一層際立ちます。

この梓のスカートのカット、考えようによっては、「ふだんの梓であれば、スカートがめくれればすぐに手でおさえるのに、先輩たちのことで頭がいっぱいになってしまっていて、おさえるのをわすれている」という茫然とした状態を表現しようとしている…………の、かなぁ?

すみません、スカートについて、とりとめのないエントリになってしまいました。

なんだか最近、ヒロインのパンチラとかシャワーシーンは一話からこれみよがしにバンバンやるんじゃなくて、中盤あたりの話数からじわじわやったほうがありがたみがでていいんじゃね? などと「NEW GAME!」を観てぼんやり思った藍上でした。

アキハバラ∧デンパトウ・第12回解説

アキハバラ∧デンパトウ (GA文庫)
藍上 陸
れい亜 (イラスト)
SBクリエイティブ


第11回の解説はこちら。

今回が連載更新の最終回となります。
物語のクライマックスなため、内容にはあまりふれないように、表現上のポイントだけを見てみましょう。


――――――――――――――――――――――――――――――
「では、去ねです。」
 スタンガンを首筋に押し当てられ、二人の意識にザアッと白黒の砂嵐が吹く。
 電波の絶えたアナログテレビのような、灰色の混濁。

  ボクらはみんなキている
 灰色の乱層雲が、波打ちながら空をどうどうと流れていく。
 電波塔の屋上――
 嵐が、くる。
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ここでは、空白行を置いて、「類似連鎖法」を使っています。
「電波の絶えたアナログテレビのような、灰色の混濁。」という文で示したイメージを、場面転換のあとに「灰色の乱層雲が、波打ちながら空をどうどうと流れていく。」という文のイメージと重ね合わせています。

映像でいえば、スタンガンを押し当てられた二人の男の意識がテレビの砂嵐のイメージでフェードアウトしていき、そのあと流れゆく灰色の雲のカットがフェードインしてくる、という感じでしょうか。
場面を似たイメージでつなぐことで、ダイナミックな感じを演出しようとしています。


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 ――調子づいた嵐が、世界を渾沌へとかき乱していく。
 現実と空想の境目を、ますますあいまいにする。
 強風によってペンネの傘がパッとひらき、レモンイエローのじゃじゃ馬娘になった。
 風を味方につけた傘は、彼(ペンネ)の手を引っぱって必死に気を引こうとしたが、相手にしてもらえないことを悟ると、乱暴にその手をふり払った。そして泣き叫ぶような風音を連れて屋上を転がっていき、フェンスにすがりついて悔しげに頭を打ちつけた。
「キミが、そうだったんだね。」
 そんな傘のことなど一顧だにせず、ペンネがまっすぐにこちらを見つめてくる。
「な、なにが……?」
 チロはわけがわからず、黒い雨合羽の前を合わせた。
 ――未練がましく頭をフェンスに打ちつけていた傘であったが、風向きが変わったことに気づき、くいっと顎をあげた。――雨はもう小降りになっていた。
 やがて風もやみ、雲間から光がさすだろう。
 傘も、過去をふりはらって未来への一歩を踏みだした。
 新しい風をつかまえて、バレエのように華やかに舞いあがる。
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物語のクライマックス、ペンネによってチロの正体(?)があかされる場面です。
ここでは基本、ペンネとチロが向かい合ってしゃべっているだけなので、そのまま書くだけでは単調になってしまいます。
そこで、ペンネが持っていたレモンイエローの傘が、強風によって吹き飛ばされ、それが屋上を走っていって人間の踊り子のようになる様を描き、物語に動きをつけています。
また、ペンネの台詞をいわせるのをなるべく遅らせて、読者をじらす目的もあります。

小説のよいところの一つは、「引き延ばせる」という点にもある気がします。
映像やマンガなどだと、視覚的に一瞬で理解できるだけに、シーンを引き延ばすのが意外と難しいのだと思います。
いかに無理なく「ため」を作るか、というのは演出家の腕の見せどころでもあります。
一方、小説の場合は一目見て理解することはできませんが、そのぶん「引き延ばし」をおこなうことが比較的容易です。
むろん、意味の薄い文章をだらだら書いていくだけではかえって緊張感が薄れて逆効果になってしまいますが、うまくそれをおこなうことで、映像にも負けないインパクトのあるシーンを表現することができると思います。

上記のシーン、当初は風で飛ばされる傘を、「散歩している犬」に見立てて書いたのですが、犬だとさすがに牧歌的な感じがですぎてこのシーンに合わないと思い、踊り子に変えたのでした。
擬人法で踊り子になった傘が、失恋し、新しい未来へ踏みだして宙を舞う、というイメージは、この物語がさらにつぎのステップへと移ったことを暗示しています。
詩的なイメージを散文にとりこんだ新感覚派的な手法です。


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 チロは三頭身に縮んで茫然とするしかなかった。
(お……俺は……)
(いったい、これからどうすれば……?)
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前にもでてきたかもしれませんが、「三頭身に縮んで~」といういいまわしは、いわゆるマンガでいうところにSDキャラになったイメージです。


……あれ? ネタバレをしないように書くと、どうしても解説することが少なくなってしまいました。
ひとまず、「アキハバラ∧デンパトウ」の一巻分の連載はこれで終了となります。

文庫本は2016年10月14日にGA文庫より発売されますので、ご興味のある方はお近くの書店やネット書店でお求めください。
なお、発売情報などの詳細は、GA文庫公式サイトをチェックしてみてください。

それでは、第1回からの長いおつきあい、どうもありがとうございました。
書いてる人

藍上 陸(らんじょうりく)

藍上 陸(らんじょうりく)
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小説書いてます。

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