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アキハバラ∧デンパトウ・第7回解説

アキハバラ∧デンパトウ (GA文庫)
藍上 陸
れい亜 (イラスト)
SBクリエイティブ


第6回の解説はこちら。


――――――――――――――――――――――――――――――
  さわってみる?
 マンガ家のペンネには、月に二度、締切がやってくる。
「おっおー、わったー。」
 リビングのカーペットに腹ばいになってマンガを描いていたペンネが、ころんとひっくり返って声をあげた。
 近くの坐卓で勉強していたチロは、ノートから顔をあげた。
「おつかれ。ヌグちゃんのとこに持ってこうか。」
「おーねーがーひー。」
 仰向けになったまま、ペンネが原稿用紙をひらひら掲げた。
――――――――――――――――――――――――――――――

第7話は、ペンネとチロのやりとりからはじまります。
何度か述べておりますが、ペンネの台詞はあえて崩した書き方をしております。
「おっおー、わったー。」という台詞も、当初は「んー、終わったー。」と書いていたのですが、もっと彼女らしさをだしたいと思い、このようにしました。
「おーねーがーひー。」というのも同様です。
舌足らずで、息が多い感じの声ですね。

また、ペンネの仕草には、寝転がったり、場所を選ばずにどこでも腰かけるという動作をよく入れています。
これはペンネのぐたっとした感じをだしたいからです。
本人は自身のことを少年だと思っているので、このように小動物みたいな無防備なことができるわけですね。
この手のボクっ娘の魅力はこういうところだと思います。
つぎのシーンもそうです。


――――――――――――――――――――――――――――――
 チロは立ちあがり、寝ているペンネを見おろして原稿を受けとろうとし、そして固まった。
「…………」
 ふくらみ。
 バスクシャツの上からでも状態がよくわかる。
 仰向けになっているため、それが横へ広がり、胴体のラインからはみださんばかりに。
(な、夏ばてして)(ぐったりした)(スライム!)
 チロの特徴のない目つきに、鋭利な光がさす。
――――――――――――――――――――――――――――――

ペンネの胸の描写ですが、あえて文中で「胸」とか「おっぱい」などとは書かず、「ふくらみ」とだけ書いています。
小説に限らず、創作表現というものは受け手のほうから能動的に参加してもらって、はじめておもしろみが感じられるものです。
書き手の押しつけによって理解するのではなく、受け手のほうから意味を発見することによって、より愛着が持てるようになり、受け手のなかで世界が広がります。
とくに、このようなサービスシーンの場合は、あからさまに書きすぎると「発見」のよろこびがなくなり、わざとらしさしか感じられなくなるので注意が必要です。


――――――――――――――――――――――――――――――
「チぃくん、どしたの?」
 ペンネがきょとんとする。最初は高橋のことを「チロくん」と呼んでいた彼女であったが、舌足らずで〝ロ〟がいいづらいらしく、最近は「チぃくん」と呼ぶようになった。
――――――――――――――――――――――――――――――

第5回で、主人公の呼称が「タカハシくん」から「チロくん」へと変更されましたが、ここではさらに「チぃくん」になっています。
通常ではキャラの呼び方は固定されることが多いのですが、あえてこのように変化させることにより、ペンネのチロへの親密度の変化を示しています。
また、「チロが引っ越してきてから、あるていどの時間が経った」という時間の流れも示しています。


――――――――――――――――――――――――――――――
 あぃがと、と答えながらペンネが上体を起こした。それによって、横に広がっていた〝ふくらみ〟も通常にもどった。下側にボリュームのついたそれが、バスクシャツを大きくおしあげている。そのせいでシャツの裾が足りなくなり、彼女が後ろ手をついて身をそらせると、薄く横皺の入ったへそがちらちらと覗けた。
「なっと~、なっと~♪」
 放りだした両足をぱたぱたさせ、彼女が歌う。
「…………」
 なぜ納豆の歌? とつっこむべきところだが、またチロは固まってしまっていた。
 ペンネのバスクシャツの襟ぐりが、ピスタチオのようにひらいていた。
 上からのぞきこむ恰好になるため、ふくらみによっておしあげられたシャツの内部がうかがえた。ふくらみの谷間をすぎて、へそまで見通せるかのようだ。
――――――――――――――――――――――――――――――

最初の「あぃがと」も、ペンネらしい舌足らずな口調を求めた結果です。
引きつづき胸に関連したサービスシーンですが、マンガや映像とはちがい、文章でそれらを表現しなければならないため、難しさがあります。
小説の場合は基本的に、「見た」だけの表現よりも、「体験した」表現のほうが向いていると思います。

小説のおもしろみの一つは、主人公の身に起きたことを読者が追体験できることだと思います。
映画などの場合は、あくまでもできごとは「スクリーンの向こう側」のことですが、小説の場合は、読者が文章を通じて「作品の内側」に入っていけるところがよいのです。
これは一人称の文体でも三人称の文体でも基本的に変わりません。
主人公(焦点化された人物)の五感描写を通じて、読者に「体験」してもらえる文章こそが、小説の一つの理想であろうと思います。

なので、上記引用文のような、「主人公がヒロインの胸を見てどきどきする」というたぐいの表現は、じつは小説という媒体はあまり得意ではありません。
五感のうちの「視覚」に限定されてしまうからです。全身を使って体験する、セックスや戦闘シーンのほうがじつは書きやすいのです。
高画質なアダルトビデオが多く作られても、官能小説が廃れない理由でもあります。

もっとも、「どきどきする主人公の内面」を描くことは小説の得意とするところですが――それを娯楽として楽しいものにするには、なんらかの工夫が必要でしょう。
今後の自分の課題であります。

上記引用文では、構図を工夫して、立体的(というほどでもないですが)に、ペンネの胸を描写しようとしています。
二人の体勢(立ち位置)をしっかり提示し、そこから見おろす形で、胸の谷間からへそまで見通せるような描写になっています。
胸だけでなく、その大きさによってバスクシャツが押しあげられ、へそまでが見えるようにしています。

こういうときは、妙ないい方になりますが、「嘘でもいいからリアリズムに徹する姿勢」が必要です。
実際に巨乳の女性がこういう体勢になって、こういう光景になるかはわかりませんが、いかにもそれっぽいと思わせることが重要と思います。
つぎの描写もそうです。


――――――――――――――――――――――――――――――
 一息ついたのもつかの間、つぎなる衝撃がチロを襲った。
 ペンネが、バスクシャツを脱ごうとしていた。
 両手を交叉させて裾をつかみ、「んしょんしょ」とよじりあげている。すでに胴体が丸まると露出し、ボリュームのあるふくらみの下半分までもが覗けた。ずっと腹ばいになっていたせいか、うっすらと肌に汗をかき、下半分のふくらみが磨かれたように艶めいていた。
「ペ、ペペペペッ、」
「ぅりゅ?」
 シャツのなかに埋もれていたペンネの顔が、ぴょこんと外へ飛びだす。
――――――――――――――――――――――――――――――

さきほどは上から覗く形でしたが、今度は下乳を描写しています。
ここでも「胸」ではなく「ふくらみ」という形で、ぼかして書いています。
胸の描写では、どうしても「身をよじる動作に合わせて、ぷるぷるとふるえた」などといったように「ぷるぷる感」を書きたくなりますが、ここでは汗をかいて磨かれたように光っているさまを表現しています。
時間が止まったような、決定的な一瞬を狙いました。

ぷるぷる感を示すやり方もよいのですが、いろいろと盛りこむとやりすぎになってしまい、ありがたみが薄れます。
全体を詳細に描写するのではなく、どこか一カ所に絞って強調する書き方のほうが色気が伝わりやすいと思いますし、読者の想像もふくらむかと思います。
足し算ではなく引き算ですね。
しかもこのあと、ペンネのほうから「これ、さわってみる?」と胸をさわらせようとする誘いがあるので、あまりやりすぎるとくどくなります。

ペンネの胸をさわろうかどうか迷うチロですが、ヌグがやってきて時間切れとなります。↓


――――――――――――――――――――――――――――――
「ん、なーに?」
 ペンネがよちよちと立ちあがって、チロを迂回してヌグについた。どうやら作画についての相談だったらしく、二人はそのままダイニングの食卓の原稿に向かっていった。
 ほんの一瞬で、それまで眼下に捧げられていたふくらみが去ってしまった。
 もっと早く決断していれば、いまごろ手のひらにふくらみの感触が残っていたであろう。
「…………」
 石川啄木のように、ぢっと手を見る。

  正義の味方?
 ぢっと手を見ている。
「……はぁ。」
 きのうのことが頭から消えない。あのときもっと早く行動していれば。後悔先に立たずとはこのことだ。
 ため息をつくのにもっともふさわしい時間に、チロはいた。
 授業中である。
――――――――――――――――――――――――――――――

「ぢっと手を見る。」というのは、石川啄木の有名な歌集「一握の砂」のなかに収録された、「はたらけど はたらけど猶 わが生活楽にならざり ぢつと手を見る。」という歌の引用です。
このフレーズだけがなぜか有名で、宮下あきら氏の「魁!!男塾」でもパロディ化されていました。

このフレーズは、一行空きを挟んでくり返されております。
ステープリング・テクニクスの一種ですが、どれに分類すべきかというと、ちょっと迷うところです。
映像でいうところのマッチカットの一種で、「ぢっと手を見ている」姿のまま、ちがう場所に移動しているイメージです。

以下の引用画像は、京都アニメーション制作「Kanon」1話より。(監督・絵コンテ=石原立也/演出=坂本一也)

kanon1話のマッチカット①
kanon1話のマッチカット②


ヒロインの一人である水瀬名雪が、主人公との待ち合わせをすっぽかされてすねているシーンです。
外のベンチでまたされている姿のまま、家のなかに移動しています。
これにより、「場所は変わっても名雪の機嫌は変わってない」ということを示しているわけです。

本作の「ぢっと手を見る」の流れも、ペンネの胸をさわらずに後悔しているチロの気分が、場所が変わっても持続していることをあらわしています。


――――――――――――――――――――――――――――――
「ペンネちゃん!?」
 後ろの席に、当たり前のように彼女がすわっていた。
 そしてにっこり小首をかしげ、
「こんにチぃくん?」
 耳の横でパッと両手を開き、妙な挨拶をしてくる。
――――――――――――――――――――――――――――――

……すみません、「こんにチぃくん?」が個人的にかわいくて好きなので、ここでとりあげてみました。
ふつうの女の子がやればあざといのですが、自分のことを男だと思っているペンネならゆるされるのではないかと……。
「男の子のようにふざけている女の子」が好きなんですね。
こういうの、あとの回でもでてきます。

ええと、このあとペンネがアメリカを倒すうんぬんをいいだすギャグシーンとなるのですが、どう解説したらいいものやら……。

――――――――――――――――――――――――――――――
「いまペンネ氏がこういう過激な発言をしたのは、決してアメリカや大統領に対する悪意からではないと思われます! ただ純粋に、この世界の悪を憎み、平和をもたらそうとした結果、不幸な勘ちがいから世界最強の国を巨悪と判断してしまったのです! 決してだれかの反米思想を代弁しているわけではないことをここに確認しておきます!」
「チぃくん、どこにいってるの? そっちはなにもないよ?」
――――――――――――――――――――――――――――――

とりあえず、上記のことは本当でございます。
べつに作者はことさら反米主義者というわけじゃありませんので、誤解なきよう。(どの国も嫌いなだけです)
昨今だと、へたにこういう発言をすると「ヘイトスピーチだ!」と世間からいわれてしまいそうですが、なぜか反米発言は容認される傾向にあるのがおもしろいところです。
アジアの某国に対してこういう傾向のこと書いたら、レイシストだと叩かれるのにね。

念のため、「チぃくん、どこにいってるの? そっちはなにもないよ?」というペンネのメタを匂わす発言によって、ギャグであることを強調しています。

このあと、番人まで登場してきて、さらにカオスな事態となりますが、内容はぜひ本篇でお確かめください。
この予備校のシーンで、「さまざまなテナントの入っている電波塔のなかでいろいろな事件が起きる」という本作の基本線が作られることになります。
外にでることもあるのですが、あくまでもタイトルのとおり、電波塔のなかで物語を進めていくことが多いです。
いわゆる「グランドホテル方式」のようなものですが、複数の人物の視点が入り乱れるのではなく、基本的にチロ視点で進行していきます。(たまにべつの人の視点になりますが)
これは小説の特性上、「頻繁に視点変更すると物語の情感が断ち切られやすい」という点を考慮してのものです。
視点変更を多くしてもおもしろい小説はありますが、個人的にそういうタイプのものは、読むのも書くのもあまり得意ではありません。


――――――――――――――――――――――――――――――
「さぁ走るのさ!」
「うん、ボク走る!」
 きらきらした笑顔で、そろって走りだす。
 軍隊のランニングのように、番人の名前を連呼しながら。
 番人ダブル・バイセップス!バリバリキレテル!デカイ!ナイスバルク!! 番人ダブル・バイセップス!バリバリキレテル!デカイ!ナイスバルク!! 番人ダブル・バイセップス!バリバリキレテル!デカイ!ナイスバルク!! 番人ダブル・バイセップス!バリバリキレテル!デカイ!ナイスバルク!! 番人ダブル・バイセップス!バリバリキレテル!デカイ!ナイスバルク!! 番人ダブル・バイセップス!バリバリキレテル!デカイ!ナイスバルク!!
――――――――――――――――――――――――――――――

最後は上記のような意味不明なノリで締めくくられます。
この番人さんの名前連呼は、つぎの第8回にも引き継がれます。
どのようにつながれるかは、つぎのお楽しみということで。(^^)

第8回の解説はこちら。

アキハバラ∧デンパトウ・第6回解説

アキハバラ∧デンパトウ (GA文庫)
藍上 陸
れい亜 (イラスト)
SBクリエイティブ


第5回の解説はこちら。


――――――――――――――――――――――――――――――
  ペンネの過去
 秋葉原の歩道で、ヌグと企業戦士が向かい合って構えている。
「はぁぁあああ~~~~! カメハメハ大王的な必殺技ァ! です!」
「ぬぐぉぉお……波動を飛ばす拳ンンン!」
 互いに両腕をつきだしたポーズで、見えないオーラ的なものを飛ばし合っている。
 二人がどんな口論の果てにそんなことをおっぱじめたのか、チロにはわからないし、わかりたくもない。アニメとゲームという近似項のためか、ライバル意識のようなものがあるのかもしれない。ともあれ衆人環視の的である。チロは他人のふりをするだけである。
――――――――――――――――――――――――――――――

今回はペンネの過去の一部があかされる回ですが、最初はヌグと企業戦士のシーンからはじまります。
企業戦士はフリーダムなキャラなので、激しいツッコミのできるせやねんと合わせることが多いのですが、ヌグとも相性が合います。
どちらもオタクなので、波長が合うところがあるのでしょう。このあとの話数でも、この二人の組み合わせはでてきます。

上記引用文では、なぜかカメハメ波と波動拳を撃ち合ってますが、なんでそんなことをしてるのかだれにもわかりません。
自分も書きながら「なんでこんなことしてんだ?」と思っていました。
わからないからこそおもしろいと感じるシーンかなと。

この作品では意識的に、こういう「説明しないで投げっぱなし」のシーンを入れるようにしています。
この回の後半にある「腹話術」のくだりもそうですが、これができるようになってから、ちょっと小説が書きやすくなりました。


――――――――――――――――――――――――――――――
 ずっと後ろでは、いまだにヌグと企業戦士が獅子舞のように荒ぶりながら、非現実的なバトルをくり広げている。
 しかしそれよりもずっと突飛な事実が、せやねんの口から語られた。
「ペンちょんはな……この世界とはべつのとこからやってきてん。」
「え?」
「マンガを描いとるのも、元の世界へ帰るためなんや。」
             ∽∵∧―∧
「あ、おかえりー。」
 エレベーターがひらくと、通路からペンネがにこやかに話しかけてきた。
 カピバラの背中にまたがって。
「た……だいま?」
 チロはエレベーターから一歩踏みだした状態で固まった。
――――――――――――――――――――――――――――――

一行目の「獅子舞のように荒ぶりながら」という比喩は、バカバカしくて気に入っています。
こういう、さらっとした比喩と、これまでたびたびでてきた海産物系の比喩のような、あえて力み返った比喩の二つを使い分けていきたいものです。

また、ここではステープリング・テクニクスに近い手法を使っています。
せやねんの「マンガを描いとるのも、元の世界へ帰るためなんや。」という台詞を入れたあと、空白行を挟んで、ペンネの「あ、おかえりー。」という台詞を入れています。
これにより、「帰る」という単語を強調し、場面転換をしてもぶつ切りの雰囲気にならないようにしています。
こういう台詞を一部ダブらせる方法は、「アキカン!」などでも使っていますし、ほかの作家さんも使っていると思います。これをふくらませていくと、ステープリング・テクニクスになるわけです。


――――――――――――――――――――――――――――――
 さきほど、帰ってくる途中にせやねんからきかされた話を思いだす。
『ペンちょんがこの電波塔にやってきたんは、いまから二年近く前の初夏やった。』
『やってきたっちゅうより、出現した、ちゅうたほうがええかもしれん。なにしろ、嵐の晩に電波塔のずっと上のほうに倒れてるのを発見されたんや。』
『そ、上や。アンテナの鉄骨で気ぃなくしとったんや。ちょうどでっかい雷がアンテナに落ちたあとでな、メンテの人らが修理のためにのぼっていって発見したんや。』
――――――――――――――――――――――――――――――

ペンネの過去が、せやねんによって語られる場面です。
ここでは、『 』の連続によって、一方的にせやねんによって語られていきます。
聞き手のチロの相槌などは省かれています。
これはページ数の節約のためで、いちいち会話にしてたら回想シーンが長くなってしかたないので。
また、小池一夫氏の、「受け台詞は使うな」という意見にも賛成です。

こういうふうに、あえてチロの台詞を書かないで進めていくと、せやねんの台詞が奇妙に浮きあがってきます。
ちょうど、電話している人を第三者が眺めている感じでしょうか。第三者にとって、電話している人の声がやけに耳障りに感じられるのは、会話として成立していないからだそうです。電話相手の声が第三者にはきこえず、一人だけの声が響くので、それが特異な感じにきこえます。

説明といえば、せやねんの話を地の文に要約して書くという方法もありますが(間接話法)、それだと本当に説明的になってしまい、読者の印象に残りづらくなります。
なので直接話法にしたのですが、会話をそのまま書くとページ数を食いますし、説明が散漫になってしまうおそれもありますので、このように一人ぶんの台詞を書いた次第です。
また、その回想の台詞とともに、現在の時間軸のペンネの様子もクロスカッティングのように交互に描き、説明に飽きがこないようにしています。


――――――――――――――――――――――――――――――
「チロくん?」
 ペンネが小首をかしげて、きょとんと目を丸くしてこちらを見ていた。
「どしたの? 心配ごと?」
「あ、いや……」
(ペンネちゃんは、いい子だ)
(とても、いい子だ)
(でも)
「電波、だよね……」
 思わず、口から本音がもれてしまった。
「でんぱ?」
 ペンネが青いオウムになってくり返した。
「あ、いや、」
 チロはあわてて弁解の言葉を探したが、
「知ってるよ! ボク、でんぱのこと!」
「へ?」
「この塔のてっぺんからでてたのだよね! みんなからきいたきいた! でんぱになれば、ずっと遠くまでいけるんでしょ? 馬よりもずっと遠くに!」
 通路の窓からの陽射しを浴びながら、ペンネがほほえんだ。
 十代の少女らしい、曇りのない闊達な笑顔。
 しかし、望遠鏡を逆さにして見たように、なぜかしらその姿は小さく、遠くに感じられた。
――――――――――――――――――――――――――――――

本作のタイトルにもある「電波」が、たんなる電波塔の「電波」だけでなく、畸人変人を意味する「電波」であることを示すシーンです。
企画当初から、「電波塔」にからめた「電波な人たち」を大勢だそうと思っていたのですが、作中でそのことを示すのに意外と苦労しました。
だれか作中で都合よく説明してくれるキャラがいて、「この電波塔には電波な連中ばかりが集まってるんだ!」といってくれたら楽なのですが……やはり最初は主人公の口からいわせたほうがいいと判断しました。
電波なキャラは、自分たちが電波なことに気づいていないから電波なわけで。

いわば、タイトルの「デンパトウ」は「電波党」でもあるわけです。

「ペンネが青いオウムになってくり返した。」というのは、いわば隠喩ですが、これによってペンネの髪の色が青であることをほのめかしています。
第2回の解説でも書きましたが、ストレートに「青い髪」とは書かない方針ですので、こうやって比喩にまぎれこませて青をアピールしています。


――――――――――――――――――――――――――――――
『頼んだで。ペンちょんの目をさまさせて、この世界でまっとうに生きるようにしたってや。立場的には浪人生のチロも似たようなもんやろ。現実を見ろ、ってな。』
(……すみません、せやねんさん。俺には無理です)
(ペンネちゃんに現実を教えるなんて、荷が重すぎます)
(だって……)
「ボク、でんぱになりたいな!」
 ペンネの笑顔を遠くに感じながら、チロは強く思った。
「だって……」

  怖い叔父さん
「だって……ああん? 『こんなにも無邪気な子の笑顔を、壊すことなんてできないじゃないですか』だってよ。ハッ、なんじゃこりゃ!」
 日記を読んだヤクザの叔父が、荒っぽく机の上に足を投げだした。
 その前にすわったチロは、びくびくしながら「ははは……すみません」とあいまいに笑うしかできなかった。
 叔父が若頭をつとめる、広域指定暴力団の東京事務所である。
――――――――――――――――――――――――――――――

ここで急に、ヤクザの事務所に場面が移ります。時間軸も変わり、いったんさきのほうへ飛んでおります。
まだストーリーは半ばですが、最後の展開に向けてのしこみをここでやっています。
チロの「だって……」という台詞のあと、空白行を置いて、叔父がその台詞のつづきを引きとっています。
それより、急激な場面転換でも、情感の断絶が起きないようにしています。


――――――――――――――――――――――――――――――
 気のせいか、タバコをぬきだす指の数が少ない気がする。よくわからない。チロの意識が理解を拒絶している。結果、叔父の左手に、薄くモザイクがかけられることになった。
「おう、火ぃどした!?」
 応接室の空気にあかぎれが走った。
(ひゃおう!?)
 チロの心臓が止まった。確実に止まった。叫びすらあげられない。
 そのままおだぶつするかに思われたが、ドアのところに立っていたジャージ姿の行儀見習いらしき青年が、「すんません!」とあわててライターをもってやってきたので、叔父の怒りが自分に向けられていたのではないことを知り、かろうじて心臓が動きだした。
「テメコラ、気ぃぬいてんじゃねえぞ!? アアッ!?」
 青年の坊主頭を、ようしゃなく叔父がはたく。その手にはやはりモザイクがかかっている。指の数が気になって気になってしかたない。
 応接室にはほかにも何人か強面の男たちがいたが、どれも直立不動で、緊張したように遠くを見つめている。いたずらをして廊下に立たされる小学生たちに見せたいぐらいだ。
――――――――――――――――――――――――――――――

怖い怖いヤクザの叔父とのシーンですが、ただ怖いだけだとコメディにならないので、コミカルに見えるような描写をしています。
「叔父の左手に、薄くモザイクがかけられることになった。」というのは、アニメなどを意識した表現ですね。また、もろに「小指がない」などと書いてしまうと、出版社によってはNGがでることがあります。
行儀見習いのシーンは、北野武監督の映画などでおなじみです。「アウトレイジ」の序盤のシーンで、ジャージ姿の青年たちが「失礼しますっ!」とかいいながらヤクザたちの接待してましたね。
あれ、一日限定でいいのなら私もやってみたいのですが……一日でもやったら、足抜けできなさそう。


――――――――――――――――――――――――――――――
「ほうほう。ではでは、せーちしきに不案内なお二人のために、このせやねんお姉様がいろいろと教えてさしあげますわ。…………あっ、おいチロ!」
「はい?」
「いま一瞬、『これって俺を使った実演!?』って期待したやろ? エロゲ的な展開を!」
「しししししてませんし! なにいってんですか! ってかエロゲなんてしたことありませんし! 俺そんなの興味ないですし!」
「あ、ヌグぽんと同じ『し!』や。お前も動揺するとそうなるんか? ヌグぽんはどや?」
「し、知らないですし! ヌグは美しい林檎印のパソコンしか使わないので、窓製マシンでしかプレイできないゲームのことなんてぜんぜんですし!」
「いや、エロゲのことはきいとらんが。」
 そのとき、ペンネがなにかを思いだしたように、
「そーいえば。」笑顔でポンと手を叩き、「ボク、腹話術できるかもしれないんだよ!」
 背景にパパパッとひまわりが咲いた。
「ごっつ急やん。ものごっっつ急やん!」
――――――――――――――――――――――――――――――

チロ・ペンネ・ヌグ・せやねんの四人が、引っ越し作業をしながらしゃべっているシーン。
ここら辺、じつはかなりなりゆきまかせで書いていて、あえてさきの展開を考えておりませんでした。
コメディでプロットを堅めすぎると、やりとりが画一化してしまって、どうしても同じパターンがくり返されてしまいがちです。
頭の真ん中だけでなく、側面や裏側も使って書いていきないとおもしろくなりません。
上記引用文で、ヌグやチロが動揺すると「し!」といいだしたりするところなどは、初期設定にはありませんでした。

この場面で一番のアドリブは、ペンネが急に腹話術ができるといいだすところでしょうか。
いま思い返しても、なんでこんなこと急にいいだしたかわかりません。
このあと、すっかり腹話術のことはスルーされて、べつの話がはじまってしまいます。
ちょっとぽかんとしてしまう流れですが、でも偶然これが書けたことで、この作品に手応えを感じられるようになりました。
こんなことやってもいいんだな、というのが自分でもわかってというか。


――――――――――――――――――――――――――――――
「あ、あれが『でんぱ』なんだ。すごいね、でんぱ、でんぱ。ボクもでんぱになれれば、あーいうことができるようになるのかな? 変身しておっきくなって怪物と戦うの。」
「……たぶん、特撮のことをいうとるんやろうな。」
「まちがってスプーンを掲げたりしてね……あれ? なんの話だっけ?」
「これからヌグの部屋で一緒に『チ○ージマン研』を見る約束の話です。」
 しれっとヌグが都合のいいように改変した。
「あ、そだっけ。」
「騙されるのかよ!」
「卑怯やぞヌグぽん! アニメでペンちょんを洗脳しようとしてえ! ウチが日頃からおこなっとる『B級昭和研究』の成果をいまこそ開陳するときや!」
「B級昭和研究? あー、だからせやねんさんの部屋って、あんな古くさくてべたべたした感じのポスターがいっぱい貼ってあるんですね……」
「なんやべたべたて!」
「いや、なんか田舎の食堂に貼ってありそうなものばっかじゃないですか。なんか油でギトギトになってそうな。」
「う、それはなかなかいいえて妙やな……なかなか見る目あるやんけ。」
「いや、納得されてしまっても……」
「そんなチロやペンちょんたちにぜひ見てほしい昭和の映画ランキングゥ! ぱんぱかぱーん! その栄えある第一位は、一九八二年公開の、『幻○湖』や! 黒澤映画にたずさわってきた脚本家が監督してるんや。東宝創立五十周年記念作品やぞ!」
「は、はぁ?」
「うぅ……幻○湖!」
 ヌグが叫んだ。
「あまりにも難解でカルトな内容ゆえに、公開後わずか二週間ちょっとで打ち切りになったという伝説の……!」
「し、知っているのかヌグちゃん!」
「なんかえんえん走ってるランニング映画だってききました!」
「ボクも走りたいなー。」
「甘い、甘いでヌグぽん。この映画はそんなもんやないんやて。最後はな……ああ、いいたい! 最後すごいことになるのをここでネタバレしたい!」
「そのすごさは伝えきいてるです。噂では、一部のアニメ関係者のあいだで鑑賞会がひらかれ、とあるアニメ監督がこれを見て、『俺の演出はまだまだだ』とうなったという……まさか『チ○ージマン研』を越えるとでもいうのですか!」
――――――――――――――――――――――――――――――

みんなでサブカル的な(?)ことを話し合うシーンです。
この作品の舞台が秋葉原で、しかも電波な人たちが集まっているので、こういう話題を書きたいと思っていました。
小説のなかに評論的な要素を入れられたらいいな、と前から思っているのですが、実際のところはなかなか難しいです。
このブログでしているように、画像引用をおこないながら解説ができればおもしろそうなのですが。
画像引用は、正当な範囲のものであれば著作権法で認められているのですが、どこからどこまでがOKなのかが難しいのでしょうね。(脱ゴーマニズム宣言事件のような判例があるので、わりとやってもだいじょうぶそうではあるのですが)
個人ブログであれば自分の責任でできるのですが、出版社的にはいろいろと困るところがありそうです。

上記引用文で、「まちがってスプーンを掲げたり」というのは、有名な 『ウルトラマン』の第34話からです。(演出は実相寺昭雄)

ヌグのいう『チ○ージマン研』は、連載の都合上、伏せ字にしてありますが、「チャージマン研」のことです。
カルトアニメの金字塔ですね。
昔、ある作家さんに薦められて知りました。その作家さんもべつの作家さんに薦められたそうな。感染力ありすぎです。
個人的に好きな回は、第56話の「暴走!馬上の研」でしょうか。冒頭の、研たちが乗ったクルマがやってくるところのデタラメなパースが最高すぎます。

『幻○湖』」というのは「幻の湖」のことです。
パッケージの写真だけでご飯何杯でも食べられますよこれ。どういうシーンなのかさっぱりわからないでしょう。

ヌグのいう、「一部のアニメ関係者のあいだで鑑賞会がひらかれ、とあるアニメ監督がこれを見て、『俺の演出はまだまだだ』とうなった」というのは、実際に自分がきいた話です。
とあるアニメのプロデューサーがこれが大好きで、カラオケとかで鑑賞会をひらいていたらしいです。そのときに唸ったアニメ監督の名前もきいているのですが、名前は差し控えます。

幻の湖は、ときおり見返したくなる不思議な中毒性があります。決して他人におすすめはしませんが、私は好きです。
作品のタイプはちがいますが、カルト度合いにおいては「アタック・オブ・ザ・キラー・トマト」と双璧をなすのではないでしょうか。


――――――――――――――――――――――――――――――
それどころか、ペンネのいいだした『腹話術』のくだりがすっかり流されてしまった。
 これからさき、彼女の腹話術が本当に見られるかどうか、だれにもわからない。
             ∽∵∧―∧ 
「……ん?」
 せやねんの部屋で映画鑑賞中、チロはふと気になって首をふり向けた。
「どしたん?」
「いや……なんていうか、いま一瞬、人のようなものが視界に入った気がして……」
「テレビの人がきたのかな?」
 ペンネが液晶画面を指さす。
「いや、テレビから人はでてこないから。」
 冷静に手をふって否定し、
「なんなんだろう……たまに、視界の端っこに、なんか人みたいなものが映るんだよ。でもすぐにそっち見ても、なんにもなくって……」
「なんですそれ。飛蚊症の呪われしバージョンですか。」
 カーペットの上で、大きな赤い靴下型の寝袋に入っているヌグが、不気味そうにいった。
「電波塔のなかでもあるし、外でもたまにあるんだよな。気のせいなのかな……人っていうか人間的な記号? みたいな形をしてるんだけど。」
「ん? ひょっとして、あれちゃうか?」
 せやねんが立ちあがり、紙とボールペンを持ってきて、なにやら描きはじめた。
「こういうちゃう?」

  ∽∵∧―∧

「そ、そうです! こんな感じです!」
「あー、理科標本さんだー。」
「ほんとです、理科標本です。」
 ペンネとヌグも紙を見てすぐに反応した。
――――――――――――――――――――――――――――――

これまでもたびたび登場した、空白行を埋める記号、「∽∵∧―∧」の正体がついに判明しました。

理科標本

じつは登場人物だったんですね。

このキャラは偶然から生まれました。
小説では場面転換をする際、よく空白行が使われます。
ポンと一行だけ空白を置くこともあるし、そのなかに記号を入れることもあります。
当初、この作品では空白行にはなにも記号を入れる予定はありませんでした。
しかし原稿を読んだ担当さんから、「なにか記号を入れませんか?」と提案がありました。
たしかに、ただの空白行だと、ページ末やページ頭に置かれた場合、空白行があることに気づかない場合があるんですよね。
読者から見ると、なんの前触れもなく場面転換したように感じられます。
なので、空白行のなかに「*」や「◆」などの記号を入れて、「ここに空白行ありますよ」と伝えるわけです。

担当さんからのご意見を受け、なかに入れる記号を考えました。
タイトルにもある「∧」を三つならべて、「∧ ∧ ∧」にしようかなと考えたのですが、どうも物足りない気がして、縦書き表示にした上でその記号にいろいろなものをつけ加えていくうちに、だんだん人の体に見えてきました。
それが「∽∵∧―∧」となり、上記画像になるわけです。

それならいっそ、これを登場人物にしてしまえということになりました。
担当さんからいわれたつぎの日にメールでこのことをお伝えし、登場人物が一人増えたというわけです。

第6回の解説は以上です。

第7回の解説はこちら。

アキハバラ∧デンパトウ・第5回解説

アキハバラ∧デンパトウ (GA文庫)
藍上 陸
れい亜 (イラスト)
SBクリエイティブ


第4回の解説はこちら。


――――――――――――――――――――――――――――――
■第5話
  せやねんなんでやねんどうしてんねん
「……やん?」
「……です。このままほっとけばいいです。」
「だめだよ。タカハシくん冷たくなっちゃうよ。」
 頭の上から、ざわざわと話し声。
 高橋は目をあけた。
 三角形の頂点を作るように、三人の顔がこちらを見おろしていた。
 膝立ちになったペンネとヌグ、そしてもう一人、さきほどドロップキックをかましてきたジャージ姿の女性がいる。
「こ……ここは、」
「バター? 私はカレー?」
 ジャージ姿の女性がいった。
「は?」
「ココアバター? 私はカレー?」\ドヤァ/
 高橋の胸中に、キノコ雲のようにむくむくと不安が立ちのぼった。
「……俺は頭を打ってどうかしてしまったのだろうか。このジャージ女の言葉がまったく理解できない。おかしいのは俺のほうか、それとも……」
「ヲイ、心の声が口からダダもれや。」
「安心するです。どうかしてるのは二人ともです。」
 ヌグが碧眼を冷たくさせていった。
「ええか? 頭打って記憶喪失になったモンがよく、『ここはどこ? 私はだれ?』っていうやろ? それを『ココアバター? 私はカレー?』ってな具合にボケてやな、」
「タカハシくん平気? 倒れて気を失ったって?」
「倒れたっていうか、倒されたっていうか……」
「頭いたい? たんこぶ?」
 ペンネが心配そうに、高橋のうなじに手をやって上体を起こそうとしてくれる。
(あぁペンネちゃん!)(なんという白衣の天使!)(迫るおっぱい!)
「だれがカレーやねん! って、つっこめや!」
 ペンネの胸の谷間を割るように、キラリと光るものがふってきた。
 ジャージ女がバシンと高橋の額にチョップを落とした。
 ペンネによって助け起こされる途中だったため、チョップがカウンター気味に決まり、高橋の頭はふたたび激しく通路に叩きつけられた。
「ご!?」覧の皆様、主人公が死亡したため、物語はここで「終わり、DEATH! ……」
――――――――――――――――――――――――――――――

第5回は、前回のラストにでてきた「せやねん」という女性を交えた会話から始まります。
上記引用文では、合計四人がしゃべっています。

私の悪いくせとして、会話を書くとき、「一対一」の関係が多くなってしまうというのがありました。
たとえば、「A→B→A→B」というような感じですね。
その場にほかのキャラがいたとしても、基本的には一対一の会話が進んでいくことが多いのです。
Aが主人公であったとすれば、Bとの会話が終わったあとは「A→C」の会話となり、それがすんだら「A→D」といったように進みがちです。

あるいは、「A→B&C」というように、主人公の相手が複数人であった場合でも事情は変わりません。
ここの「C」のキャラは、いわばBの従属物のようなものになってしまい、積極的に会話をリードすることがありません。
一見すると複数人でしゃべっているようでいて、実際は一対一の関係のまま進んでいくことが多いのです。

会話の自由度にとぼしいわけです。
どうしてこんなくせがついてしまったかというと、やはり私自身のふだんの生活に原因があるのでしょう。
あまり多人数としゃべるという経験がないんですよね。友だち少ないし。

だから、リア充の合コンみたいに、多人数で「ウェーイウェーイ!」とはしゃいでいるようなやりとりができないのです。リアルでも創作でも。
多体問題みたいに、一対一の関係から抜けだすと、複雑になるんですよね。

ある作家さんとその話をして、「やっぱり会話の書き方って作家の私生活がでるよね」とうなずきあったものです。

しかし今作では、さまざまなキャラが登場するということもあって、なるべく従来の一対一の会話から脱却しようと努力しています。
第1回解説でもとりあげた「クロストーク」もそうですが、なるべく多人数の会話がカオスになるように努力しています。
が、うまくいってるのかよくわかりません。
「笑い」を優先させて、ひたすら読者を笑わせようとしていくと、結局は元の一対一の漫才的なスタイルにもどっていってしまうという……。

リア充の合コンの「ウェーイウェーイ!」というのは、やってる本人たちは楽しくっても、はたから見ているほうとしてはクソつまんなかったりするんですよね。難しいところです。

上記引用文でも、それぞれのキャラが好き放題にしゃべるように気をつけているつもりです。
最後に高橋の頭にチョップが落とされますが、当初はここで「ダブルアクション」のように、アングルを変えてチョップをくり返そうかと思いました。
しかしここではスピーディーに展開したほうがおもしろいと思い、現在のようなシンプルな表現になりました。


――――――――――――――――――――――――――――――
 脱臼癖のように、落ち癖というものがあるのかもしれない。
 すでに一日に二度も意識を落とされていれば、そうなるのも無理はなかった。
――――――――――――――――――――――――――――――

シーン転換をして、上記の文からはじまりますが、連載で読んでいると「すでに一日に二度も意識を落とされて」のところがわかりづらいかもしれません。これは前回の第4回の朝のシーンで、ニシキヘビによってしめおとされているのが一回目で、そのあと第5回の冒頭でせやねんにドロップキックを食らって意識を失っているのが二回目です。そして、今回チョップを食らって意識を失ったのが三回目。


――――――――――――――――――――――――――――――
 ソファで横になっていた高橋は、上体を起こして部屋を見まわした。壁のあちこちにさまざまなポスターが貼ってある。七十・八十年代のものと思われる男性アイドルのものや、プロレスラーのもの、見たこともない古い映画の宣伝ポスターもあった。
――――――――――――――――――――――――――――――

これはあとの回でふれられますが、このジャージ姿の女性(せやねん)が昭和の古い文化の愛好家なためです。


――――――――――――――――――――――――――――――
「みるくせーきってどうやって作るの?」
「このミキサーにな、タマゴと砂糖と牛乳とちょびっとの洋酒、冷やすための氷とバナナなんかの果物を入れてな、ぎゅいいいいん! ってな具合に混ぜればミルクセィエキができんねん。さぁペンちょん! スイッチをゴーや!」
「ごー! ぎゅいいいいん!」
「まつです、なんかいまおかしな単語がきこえたです!」
「本場の発音にしただけやて。あ、ペンちょんもう止めてええで。」
「いいいいん……ぴたっ。あ、ぶくぶくしてる。」
「見ぃ! どろどろの白濁液の完成や!」
「死ぬがいいです! ペンネさんもう帰るです!」
「おいしそだよ?」
「ヌグはのまないです!」
「ヌグぽんだけのまないなんていけずや。ほれペンちょん、上目遣いでヌグぽんにお願いしてみ? 『ボクのミルクセィエキをごっくんして?』って。」
「うりゅ?」
「や、やめるですペンネさん!」
「ヌグちゃん? ボクのみるくせーきをごっくんして?」
「ふがっ!?」
「えっ、どしたのっ?」
「ネズミが鼻血を噴きおった!」
 …………
 そんなやりとりを、高橋はぼんやりと、遠いできごとのように見つめていた。
(あれ?)(俺、場ちがい?)(合コンで浮いてる系?)
――――――――――――――――――――――――――――――

はい、下ネタのやりとりです。
このジャージ姿の女性(せやねん)が入ったことにより、会話のなかに下ネタが加わることになります。
下ネタって人を選ぶから、やりすぎるとよくないと思うんですよね。
しかも女性キャラに下ネタをいわせると、そのキャラは主人公にとって恋愛対象外になりやすいし、男性キャラにいわせると女性に対するセクハラとなって好感度がさがってしまうという。
でも、私が考えつく笑いのパターンの八割は下ネタか不謹慎ネタでできているので、どうしても下ネタをだしてみたくなります……。

このせやねんというキャラは、企画当初はキャラ同士の交流を円滑するための潤滑剤のつもりで考えていました。
登場人物が変人ばかりなので、主人公だけではうまくさばくことができないことが予想されたので、せやねんのように状況に応じてツッコんだりボケたりできる人材がいたほうが、キャラ同士の交流が円滑に進むと思ったのです。
しかしいざ書いてみると、下ネタばっかりいいだして……担当さんをもってして、「予想以上に下ネタが多いです」といわしめるキャラになってしまいました。

また、上記引用文の最後のほうの地の文に「…………」と三点リーダーが入っています。
第1回解説でも書きましたが、本作では基本的に三点リーダーは台詞だけで使うようにしています。地の文では使わない。
しかし、ここでは例外的に使うことにしました。
ペンネ・せやねん・ヌグの三人のやりとりを、あえて地の文をなくして台詞だけで書いたあと、それを見ている高橋へとカメラを向けるわけですが、その切替をどうするかが難しかったのです。
せっかく会話のところでは地の文をなくして純粋に台詞だけで書いていたので、高橋にもどすときに地の文でぐだぐだと説明してしまうと、それまでの流れが台無しになってしまうと思ったのです。
なので、地の文で「…………」と無機的なクッションを置いたあと、つぎの行に地の文を入れることにしました。


――――――――――――――――――――――――――――――
 一人残された高橋は、やわらかいものがおしつけられていた腕や、拭かれていた股を見おろした。しかしそこには、もはやなんの感触もない。すべては去っていってしまった。
 諸行無常である。禅の境地である。
 喉をそらせて、一気にミルクセーキをあおった。

  チロの誕生
 ヌグのそらされた白い喉が、おっかなびっくり元にもどされた。
「……止まったです。」
「よかったね。でもなんで急に鼻血でたんだろ?」
――――――――――――――――――――――――――――――

ここでは、空白行を境にして、ステープリング・テクニクスの「動作跨ぎ法」の一種を使っています。

「喉をそらせる→元にもどす」という動きを、高橋とヌグによって分割しておこなっています。
映像でいうマッチカットの一種で、これをおこなうことにより、動きがつながっている高橋とヌグとのあいだに「気分のつながり」も与えています。
高橋もヌグも、原因はちがえども、どちらも気分が落ち込んでいる状態です。
この「喉をそらせる→元にもどす」という動作を二人がおこなうことによって、「気分」も一緒にバトンタッチしているわけですね。

下記引用画像は、京都アニメーション制作「CLANNAD」の18話からです。(監督=石原立也/絵コンテ・演出=高雄統子)

クラナド18話マッチカット①
クラナド18話マッチカット②


藤林杏のカットと、岡崎朋也のカットです。
二人はちがう場所にいますが、カットをまたいで構図に類似性があります。
これによって、二人のあいだに「気分のつながり」を示していることになります。
カットをなめらかにつなぐだけではなく、ドラマの「気分(ムード)」も持続させているわけですね。カットを割ることによる「気分の断絶」という弊害をなくしているわけです。
映像であれ小説であれ、物語というものはいかに気分(ムード)をつないでいくかにかかっていると思います。
コメディであれシリアスであれ、見る人を感動させたり昂奮させたりする作品は、例外なくこの気分の持続を大事にしています。
脚本レベルでも注意が必要ですが、やはり演出レベルでも細心の注意が必要なのでしょう。
自分もそういう力を身につけたいものです。


――――――――――――――――――――――――――――――
「大学っていえば、新入り……えっと、なんつんやったっけ?」
「タカハシくんだよ。とーだいに入りたいんだって。」
「ほー、東大。何回落ちたん?」
 高橋は一瞬口ごもり、「……二回、です。」
「二回も! ほー、ほー!」
 音痴なフクロウのように「ほー」をくり返す。
「な、なんですか。悪いですか!」
「さては幼なじみがおるな?」
「幼なじみ……?」
「小さいころ、一緒に東大に入ろうって約束しあった幼なじみの女の子や!」
「???」
「あかん、こりゃつぎも東大落ちるわ。三浪決定や。」
「どうして!?」
「でも安心しい、ツンデレの子と仲良くなれるわ。その子のほうがさきに東大入るけどな。」
「あの、なんのことかいまいち……」
「ラブや! ひなた荘でのラブや!」
 困惑する高橋の斜向かいで、ヌグがおののくようにぼそりと「ヌグですら遠慮して指摘しなかったことを……」とつぶやいた。
――――――――――――――――――――――――――――――

もうここは、まんま赤松健氏の「ラブひな」へのオマージュです。
パロっぽくなってますが、自分としてはあくまでもオマージュ、リスペクトのつもりです。(笑いに持っていこうとしてるのが余計なだけで……)
執筆前史でも書きましたが、やはりこういう「同じ場所で美少女と暮らす」という作品は、私の世代では「ラブひな」がその代表格だったんですよね。
ジャンルとしてはラブひな以前からあるのですが、まっさきに浮かんでくる作品は、やはりラブひなです。


――――――――――――――――――――――――――――――
「いえ、あの、大学生、ですよね?」
「そうや。ヨーグルトとか作ってる食品会社と同じ名前の大学や。」
 ドヤと胸を張る彼女。
(ヨーグルト?)(っていえはCMで……)
 高橋は少し考え、怖々と答えた。
「……ブルガリア大学?」
「そっちかい!」
 大判のハリセンをとりだして、スパーンと高橋の頭をはたいてきた。
「あ、でもおもろいからそれでええわ。こんにちはーっ! ブルガリア大学のせやねんちゃんでーす! きゃぴっ☆」
――――――――――――――――――――――――――――――

こういうの、わざわざ解説するのは野暮だと思うのですが、あえて説明しますと、明治大学のことをいってます。

・ヨーグルトを作ってる会社→明治(食品メーカー)→明治大学

という答えなのですが、高橋が「明治ブルガリアヨーグルト」を連想して、なぜか「ブルガリア大学」と答えてしまった、というわけです。
はっきりと大学名を書くより、こういうふうにぼかしたほうが気が利いてるし、明治大学は私立大学なので名前をださないほうがいいかなと。
どうして彼女を明治大学の学生にしたかというと、彼女は神保町の出版社でアルバイトをしているという設定だからです。
実際の出版社でも、けっこう明治大学の学生さんがバイトしてたりするんですよね。明治大学のキャンパスが近くにあるので。


――――――――――――――――――――――――――――――
「新入り! お前のあだ名を決めたる!」
 ハリセンをびしりと高橋の鼻先につきつける。
「出身地はどこや?」
「え、千葉、ですけど?」
「千葉か。西日本でゆうたら広島やな。」
「???」
「そなの?」
 と、ペンネが膝元のヌグにたずねると、ヌグがちらっと顔をあげて、「ブルガリア大学に日本のことはわからないのです」と冷ややかに答えた。
「千葉の浪人生を略して……チロでどうや!」
「ち、チロ? なんかチョコの名前みたいで……」
「いーんじゃない? ボクさんせー。」
「犬みたいです。」\雑種の/
 せやねんがパンと手を打った。
「決定や! お前はきょうからチロウや!」
「ちょ、チロウ? チロ? どっちなんすか?」
「いやか? チロウ? それとも早いんか?」
「早い?」
「早く終わるんならソウロウや。」
「下ネタかよ!」
 ハリセンを奪って叩いてやりたかった。
 ペンネが「ソウロウ?」と膝元にたずねると、ヌグがそわそわしながら「そ、候文のことです!」と答えた。
「で、どっちなんや? アノときは早いんか? 遅いんか? んんっ?」
「どどど、どっちでもいいでしょっ、そんなのっ!」
 動揺のあまりオカマ口調になる高橋に、せやねんは「ぬっふふ」といやらしく笑い、
「さては経験ないんか? ないんやろ? んん?」
「ちがっ、ちがいます! 濡れ衣です!」
「精通するようになったら相手してやってもええで?」
「さすがにそれはもうしてます!」
――――――――――――――――――――――――――――――

高橋に「チロ」というマンションネーム(?)がつけられるくだりです。
これ以降は、地の文でも「チロ」と書かれることになります。
ふつう、作中でキャラの名前が変わるのは混乱のもとになるのでよくないのですが、今回はあえて呼び名を変えることにしました。このあとも細かいところで呼び名が変わったりします。
この「ニックネーム」というのは、集団の一員と認められるということをあらわしています。これにより高橋は「チロ」というマンション内でのキャラクターが与えられたことになり、ツッコミ役としての立場が強まっていきます。これによってようやく作品の体裁がととのったともいえるでしょう。

上記引用文の最後、「さすがにそれはもうしてます!」のところでシークエンスは終わり、空白行を置いてつぎのシーンへと移ります。
当初はこの台詞のあと、地の文で「こうして高橋はチロとなったのだった。」などという一文を入れて終わらせていたのですが、推敲のときに外しました。
こういう、最後につける一文というのは蛇足であることが多いです。
つけたほうが、いかにも「終わった」という感じはでるのですが、逆にいえば説明的で、むりやり終わらせたように見えてしまうおそれがあります。

私が高校一年生のときに、国語の授業で芥川龍之介の「羅生門」という作品を教わりました。
小説を読むのはこれがほぼはじめてだったのですが、国語の先生が丁寧に教えてくださったおかげで、小説に興味を持つようになりました。
自分にとって非常に思い出深い作品なのですが、ここでも「蛇足の一文」という問題がありました。
この作品の最後は、以下のように終わります。

------------------------------------------------------------
 下人は、すばやく、老婆の着物を剥ぎとった。それから、足にしがみつこうとする老婆を、手荒く死骸の上へ蹴倒した。梯子の口までは、僅に五歩を数えるばかりである。下人は、剥ぎとった檜皮色の着物をわきにかかえて、またたく間に急な梯子を夜の底へかけ下りた。 
 しばらく、死んだように倒れていた老婆が、死骸の中から、その裸の体を起したのは、それから間もなくの事である。老婆はつぶやくような、うめくような声を立てながら、まだ燃えている火の光をたよりに、梯子の口まで、這って行った。そうして、そこから、短い白髪を倒にして、門の下を覗きこんだ。外には、ただ、黒洞々たる夜があるばかりである。
 下人の行方は、誰も知らない。
------------------------------------------------------------

問題は、最後の一文です。
「下人の行方は、誰も知らない。」というこの一文が、果たしてよいものかどうか、文学者のあいだでも意見がわかれているようです。
自分が十代のときに読んだある文芸評論では、「文豪芥川も、この蛇足の罠にかかって、余計な一文を書いてしまっている」という趣旨の批判がありました。たしかにいわれてみれば、その手前のパラグラフの「外には、ただ、黒洞々たる夜があるばかりである。」という文章で話を終えたほうが、外に開かれた終わり方な気がします。

「下人の行方は、誰も知らない。」という一文をくわえてしまうと、ここで強引に物語を閉じたように感じられてしまいます。なんだか、紙芝居の最後に「ハイ、終わり!」といわれてしまった気分です。

「視点」という観点においても、この最後の一文はだれの視点なのかわかりません。「下人」でも「老婆」でもなく、神から見たような視点となっています。それが余計に、前の文との断絶を引き起こしています。

しかし一方で、べつの評論では、この最後の一文を褒めている人もいるんですよね。
唐突に視点が変わることが、かえって作品の可能性を広げているという評価もあるようです。
ここら辺は本当に難しく、結局は好きずきとなってしまうのですが……。
昔の自分は、こういう一文はむしろ好きだったのですが、最近は好みが変わって、入れないほうがすっきりしていていいかな、という気がしています。
ただ、本当に必要な一文ならば当然入れるべきで、そこの見極めが重要だと思います。
入れなくてもとくに問題ないようなら、外したほうがいい。そのほうがスピード感がでますし、むしろちょっと不足しているぐらいのほうが、つづきを読んでみようという気も起きるんですよね。シークエンスを完全に書き切ってしまうと、そこで話が閉じてしまって、つづきを読もうという気が起きない。
そういう「不足」の部分を狙って作れるようになると、ぐっと表現の幅が広がる気がします。


――――――――――――――――――――――――――――――
「精通するようになったら相手してやってもええで?」
「さすがにそれはもうしてます!」

  稼いでる男
「東洋の魔都、秋葉原ッ!」\です/
 くわっとヌグが目をみはり、背後に『ズガーン!』と春雷が轟いた、ような気がした。
 実際はうららかな陽気の、いつもの平和な秋葉原である。
 午後一時、その秋葉原の通りを、三人の男女が連れだって歩いていた。
――――――――――――――――――――――――――――――

台詞のやりとりのあと、一行空きを挟んで、秋葉原の路上に移ります。
いきなりヌグが意味不明なことを叫んでますが、とくに深い意味はありません。ハッタリをかましたかったのでしょう。

ここでは、電波塔の外にでて秋葉原を移動するシーンです。
あらためていうまでもありませんが、この作品のタイトルは「アキハバラ∧デンパトウ」です。
「∧」という記号は、「および」を意味する論理記号です。つまり、「秋葉原および電波塔」という意味になります。(また、「∧」は電波塔の尖った形もイメージしています)

電波塔のなかだけで物語を動かしてしまうと狭くなってしまいますし、秋葉原の特異なイメージも物語に付与したいと思っていたので、どこかで外のシーンを入れたいと思っていました。
ここから、キャラたちは秋葉原を移動しながら「企業戦士」というキャラを探すのですが、秋葉原の街並をどう描写するか迷いました。
私は2010年から東京に二年間住んでおり、そのときはほとんど毎日秋葉原に通っていました。秋葉原の喫茶店にノートパソコンを持ちこんで仕事をしていたからですが、取材もかねていました。当時、この作品を含む複数の作品で秋葉原を舞台にする計画があったので、地理的なことや雰囲気を知ろうとしたんですね。
なので、秋葉原の街並をがっつり文章で表現したいという欲求に駈られるのですが、二つ問題があります。
一つは、実際の街並は時とともに移り変わってしまうということ。
秋葉原についても、2000年前後ぐらいと現在とではかなり趣が変わっているといいます。
もう一つの問題は、描写の「長短・巧拙」と、作品としての「おもしろさ」はかならずしも一致しない、ということです。
キャラクターの容姿描写もそうですが、それを細かく描写したことによって「おもしろさ」へどれだけ貢献するかは、慎重に見極めなければいけないと思います。作家の自慰的な描写自慢になってしまってはいけない。

十八・十九世紀の海外小説などでは、しばしば現代的な感覚では長すぎるぐらいの風景描写がおこなわれます。これはまだ写真や映像が未発達であったため、文章でいちいち細やかに描写しなければ、異境の人たちに伝わらなかったからでしょう。同じ国の人であったとしても、ちがう街のことはさっぱりわからなかった時代が長くありました。
十九世紀後半から各国で新聞や雑誌などの刊行物が増え、それによってようやく国の事情が同国人に広く共有されるようになり、ナショナリズムが芽生えたということは、ベネディクト・アンダーソンが「想像の共同体」で述べているとおりです。

また、写真や映画の発明により、国内の風景がビジュアル的に共有されるようになり、文章で細々と風景を書かなくても、読者とイメージを共有しやすくなりました。
つまり、実際に秋葉原に行ったことがなくても、映像その他によって読者のあいだにはあるていど「秋葉原」のイメージができているということです。
なので、あらためて細々と書かなくてもいいのではと思い、上記のシーンではほとんど秋葉原の描写はしていません。
その描写が物語上必須であったときは、もちろん細かく書く必要もありますが……。


――――――――――――――――――――――――――――――
 ヌグの恰好はネズミのパジャマから、ワンピース型の鹿の着ぐるみに変わっていた。着ぐるみといっても、生地が薄く、パジャマと同じようなものである。
 チロは一緒に歩きながら、周囲の視線が気になったが、何人かの通行人が物珍しげにヌグに視線をやるだけで、とくにこれといった反応もなかった。この魔都においては、着ぐるみで歩いている人間など、海におけるヤドカリていどの物珍しさにすぎない。
――――――――――――――――――――――――――――――

ふだんヌグはさまざまな着ぐるみを着ているという設定なので、場面を変えるときも着替えさせています。マンガやアニメと比べて、小説ではいまいち伝わりづらいと思うのですが、読者に想像していただきたいところです。
「着ぐるみで歩いている人間など、海におけるヤドカリていどの物珍しさにすぎない。」というのは、ここでも海産物系の比喩を使っていますが、さすがに実際の秋葉原でヌグみたいな金髪美少女が着ぐるみで歩いてたらもっと注目されそうな気もします。が、実際はやはりほとんど気にされないかもしれません。魔都ですからね。


――――――――――――――――――――――――――――――
 中央通り沿いに建つゲームセンターへ、スーツ姿の男性が入っていくのが見えた。
「ゲーセン? 企業戦士さんが?」
「キエ――――――――ッ!!」
 せやねんがハリセンをふりかざし、示現流もかくやといういきおいで急襲した。
「うむ?」
 企業戦士がふり返る。
 その眼鏡のレンズに、ふりおろされるハリセンの姿が白々と反射した。
             ∽∵∧―∧
 バシーッ!
「わっ、なんだい?」
 背後の音におどろいて、ZOOは肩をはねあげた。
 大きなゾウが、長い鼻で一輪車を叩いてひっくり返していた。
 動物園に勤めているZOOは、ゾウの飼育場の掃除と、エサやりをしているところだった。
 一輪車にはゾウのエサが入っていたのだが、すっかり地面にぶちまけられている。
「こらこら、もったいないゾウ?」
『…………』
 ゾウはつぶらな瞳で、ただZOOを見おろしている。
「一輪車で無ゾウ作にエサをだすのは失礼だって?」
『…………』
「ははっ、『黙れ小ゾウ!』って感じかい?」
『…………』
 ゾウの長い鼻が鞭のようにしなり、もう一つの一輪車を打ちすえた。
 バシーッ!
             ∽∵∧―∧
「うぐぐぐぐ……」
 企業戦士が額をおさえ、前かがみになってうめいている。
 追いついたチロは、ハリセンの二撃目をくわえようとしているせやねんの手をおさえた。
「ちょ、せやねんさん!? 急になにを!?」
「ええねん! 絶対こいつ、ろくなこと考えとらん! いまのうちからシバいとかな!」
――――――――――――――――――――――――――――――

長めの引用になりました。ここでは、謎の記号である「∽∵∧―∧」のよる空き行が二カ所でてきます。
その空き行を挟んで、また動作跨ぎ法を使っています。

・「せやねんがハリセンをふりおろす」→「インパクトの瞬間に場面転換」→「バシーッ!とゾウの鼻が一輪車を叩く」

という流れにして、ハリセンの動きと、ゾウの鼻の動きを、マッチカット的につなげています。
これにより、ただのハリセンの攻撃を、まるでゾウの攻撃であるかのように迫力を増して表現することができます。
また、前回の第4話で企業戦士と一緒に電波塔をでていったZOOが、ちゃんと動物園で働いていることも示したかったのです。企業戦士は三十年間ニートだけど、ZOOはちゃんとした社会人ですよ、と……。

このシーン、当初はふつうに、せやねんがハリセンをふりおろすだけの書き方をしていました。
しかしそれだとどうしてもインパクトが弱かったため、変更することにしました。
映像でも使われる手法なのですが、あえてインパクトの瞬間を隠すことで受け手の想像力をかきたて、印象深く演出することができます。
以下の引用画像は、「監獄学園」(水島努監督)の2話からです。(絵コンテ=二瓶勇一/演出=高島大輔)

監獄学園2話①
監獄学園2話②
監獄学園2話③
監獄学園2話④


トイレで、主人公の藤野清志が、緑川花の顔に放尿してしまうシーン。
放尿する瞬間にカットが切り替わり、外で水をのんでいる白木芽衣子が映されます。
これにより、直接は描かれていないものの、「藤野清志の小便が、緑川花の口に入った」ということが示されたことになります。
大事な瞬間を隠すことにより、かえって視聴者の興味を引き立てているわけです。


――――――――――――――――――――――――――――――
「バレてしまったものはしかたない。そうだよ! 私はニートなのだよ! 大学をでてからじつに三十年間、いっさい働いたことがないのだ! 生活はすべて田舎で農家を営んでいる両親の仕送りに頼っている!」
 熱弁する企業戦士の背後に、もんぺ姿の年老いた両親の働く姿がもくもくと浮かびあがった、ような気がした。
 それを光背にして、企業戦士が目をくわっと見ひらいた。
「両親が健在なかぎり、私はこれからも遊びつづけるつもりだ!」
「うぉぉおおっ、ききたくないっ!」「何度きいてもやりきれんわ!」
 たまらず耳を塞ぐ二人。
 ヌグがマイクを握って、「これが現代社会の闇なのです」とテレビリポーターに変身した。
――――――――――――――――――――――――――――――

企業戦士がニートであることが判明するシーン。
たぶんですが、この「アキハバラ∧デンパトウ」の企画が通ったのは、この企業戦士の存在が大きいと思います。
冷静に考えてみるとこの作品、女性キャラの数が少なく、男性キャラがかなり多い構成なのです。しかも19歳の主人公を除けばみんな中年ばかりという、ライトノベルではあまり例がない構成です。
それでも、企画会議では「企業戦士などのキャラがおもしろい」という理由で通ったそうなので、「三十年間ニート」という設定はインパクトがあったのでしょう。
作者としても、この企業戦士みたいになにをやらせてもだいじょうぶなキャラというのは、非常に動かしやすくて助かるものです。どんなひどいことをしても、キャラが壊れずに「あの人だからしかたない」というふうに収まるので。
書いててふと思いあたったのですが、この「企業戦士」という名前、ゲーム「STEINS;GATE」に影響されているかもしれません。
このゲームにでてくる阿万音鈴羽というキャラのニックネームが、「バイト戦士」というのです。
この企画を作った2010年10月ぐらいにはすでに「STEINS;GATE」をプレイしていたはずなので、そこから連想したのかもしれません。
もっとも、「企業戦士」という名前自体、世間ではたまに使われる言葉なので、ひょっとしたら関係なく偶然かもしれませんが……昔のことなのでおぼえてない……。
シュタインズゲートの「バイト戦士」、いいキャラですよね。性格や設定もいいですし、田村ゆかりさんの声が偉大であることを再認識させてくれるという意味でも、すばらしい。
そういえば、秋葉原を舞台に物語を作ってみようと考えたのも、この作品の影響かもしれません。
ノベル形式のゲームとしては、「月姫」や「AIR」などとならんで、もっとも好きな作品です。

閑話休題。

「熱弁する企業戦士の背後に、もんぺ姿の年老いた両親の働く姿がもくもくと浮かびあがった」というのはマンガ的な表現です。
いわばマンガの常套的表現を借りているわけで、日本人だったらすぐにマンガを連想して理解できるでしょうが、外国の方には伝わらないかもしれません。たぶんこういう表現は一般文芸では嫌われる傾向にあると思うので、ライトノベルならではの遊びだと思います。
「ヌグがマイクを握って、「これが現代社会の闇なのです」とテレビリポーターに変身した。」というのは、一種の隠喩ともいえますし、ギャグマンガのようにリアリズム無視で本当にテレビリポーターに変身してしまったともいえると思います。
あえてあいまいな中間を狙ってみました。


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「なんと! あれはせやねん君だったのかね!」
 ガン、とボディブロー。
「いいか、ほかの子たちの前では余計なこというなよ。わかったな。」
「あぐぐ……く、ククッ、関西弁が消えているじゃないか。それが地かね?」
 ガンガン!
「ぐほうっ! に、二回も……」
「ふん、掲載しとる場所的にちょうどええ。」
「掲載? はて、妙なことを。」
「またガンガンされたいか?」
「ふっ、さすが出版社でバイトしてるだけあって、先方への媚びの売り方もばっちりだね。」
 ガンガン!
「おら、お前が媚び売れや。」
「ごほっ、げほっ、ガ……ガンガン万歳! 一生ついていきます!」
 お偉方のいそうな方面に向かって、企業戦士が頭をさげた。
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ガンガンGAで連載していることからくるメタ的なギャグですが、このシーンは当初はもっとヤバめのギャグが入っていました。
場所がゲーセンということで、ガンガンにからんだゲーセン系のパロネタを入れていたのですが、担当の方から「ネタがきわどすぎる」とNGがでたため、二ページほど現在の形に差し替えとなりました。
変更になったのは残念ではありますが、しかたありません。出版社同士のバトルに発展したら怖いし。
そのあと、ニュースで例の件が示談となったという話が流れたので、よかったなと思いました(^^)

第5回の解説は以上です。

第6回の解説はこちら。

アキハバラ∧デンパトウ・第4回解説

アキハバラ∧デンパトウ (GA文庫)
藍上 陸
れい亜 (イラスト)
SBクリエイティブ


第3回の解説はこちら。

第4回は、ZOO(ズー)という、マンションのなかで勝手に動物を飼っている中年男性が登場します。
2010年に企画を作ったときからいるキャラなのですが、なぜ中年男性にしてしまったのか……と、あとになってふと思いました。
コメディ作品なので動物たちをだしたほうがにぎやかになると思ったのですが、ふつうは美少女の動物使いとかにしそうなものですが。

いわゆる「アパートもの」というジャンルでは、主人公のみが男性で、ほかは女性ばかりというハーレム図式が多いので、それに対する反撥があったのかもしれません。
でも好きなんですよね、このZOOというキャラ。
コンビニの店長をやっている「番人」という中年もそうですが、本作ではこのあとも中年キャラがよくでてきます。いま思えばよく企画が通ったなと。


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 床にぼふんと落下して転がったそれは、全身が白い毛玉のようで、とても生き物には見えなかったが、やがてぴょこんと、細長い耳らしきものが毛玉の上につきだした。
「ひょっとして……ウサギ、なのか?」
 まるで伝説の毛だけの生物、ケセランパサランのようだが、よく見ると毛の隙間から特徴的なウサギの口らしきものがうかがえる。アンゴラウサギという長毛種だ。小さく『ゴラ、ゴラ』とつぶやいている。老人のようなしゃがれ声だ。
 部屋にはほかに、カピバラの『カピ、カピ』というとぼけた声、ヘビの『ニョロ、ニョロ』というかわいいアニメ声が重唱している。
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目をさました部屋で、謎の生物たちと邂逅するシーンです。
ここでは、カピバラ、ニシキヘビ、アンゴラウサギの三匹がでてきます。
カピバラは昔から好きな動物で、ぜひだしたいと思っていました。アンゴラウサギは、最近では心がぴょんぴょんする某作品にでてきて有名になりましたが、自分も昔から好きな動物でした。
アキカン!の7巻の著者紹介の文で、「五年前に現在のカピバラブームを予見していたのですが、だれに言っても信じてもらえません。なのでこの欄で次のブームを予言しておきます。これからはアンゴラウサギとオヒョウの時代です。」とか書いていました。
アンゴラウサギの時代はきましたが、オヒョウの時代はまだですね。この作品でだしてやりたいとも思っていましたが、さすがにマンションで海の生物をだすのは無理でした。
ニシキヘビをだしたのは、ふわふわ系ばっかだと印象が甘くなるので、ちょっとキツめのやつもだしておこうという狙いです。


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 やがて耳のなかまで締めつけられたように、世界から音が消えていった。
(あぁ…砂丘のように…静か…だ、ナァ……、…………、………………)

  ZOOの動物園
「あの動物たちはなんなんですかァ――――――ッ!!」
 大音声によって、ダイニングキッチンがこんにゃくのように震えた。
 テーブルを叩きながら叫んだ高橋は、目の前にすわる男性を睨みつけた。
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ここでは、一行空きを挟んで、ステープリング・テクニクスの「音響関連法」が使われています。
「音」の相似や落差を利用してシーン同士に関連性を持たせる方法ですが、ここでは音量のちがいを強調しています。
まず、(あぁ…砂丘のように…静か…だ、ナァ……、…………、………………)と徐々に沈黙していく内言を書いたあと、一行空きを挟んで、絶叫の台詞が入ります。その音の落差を使うことによって、シーンのつなぎにメリハリをつけます。

「ダイニングキッチンがこんにゃくのように震えた」という表現は、よくアニメなどで見られるものです。
大きな音によって、部屋全体がぶよぶよと震えるイメージです。部屋の内側から見るというより、外側から見る感じでしょうか。


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 目じりと口端がくっつきそうなふにゃっとした笑みを浮かべ、彼がコーヒーをすすった。
 歳は四十前後だろうが、距離を置けば二十代前半に見えてもおかしくないくらい若々しい顔つきをしている。中年太りとは無縁な引き締まった体を、白いタートルネックのセーターでつつんでいる。薄茶色のやわらかい癖毛が、その穏健な人柄をよくあらわしていた。
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前記したように、本作では中年の男性キャラがよくでてきます。それをどのように描写するかが、わりとたいへんでした。コメディ作品なので、あまりがっつりとおじさんぽく書いてしまっても、以降のコミカルなシーンのイメージとずれてしまいますし、女の子たちとも雰囲気が変わってしまいます。
適度に誇張を交えつつ、うまいことほかのキャラと馴染ませるように注意しています。


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「で、ですよねー……」
 なにやらヤバイものを感じて、高橋はホヤのようにえへえへと空笑いした。
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この作品でよくでてくる海鮮物系の比喩の一つです。書き手としてはこういうとこでストレス発散します。


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 戸がぱたんと閉(た)てられる。
 ふぅ、と高橋はため息をついた。
「やれやれ……」
『ったくめんどくせぇ野郎だぜほんと。』
 高橋の台詞のつづきが、何者かに奪われた。
 おどろいて「えっ?」とふり返ると、カピバラのポルポトがしゃべっていた。
 ぬぼ~っとした顔のまま、『しょうがねぇやつだぜ』と当然のごとく人語を使っている。
『人間のメスのことなんてわすれちゃえばいいのよ♡』
 ニシキヘビのクレオパトラも声優のような声でしゃべった。
『諸行無常アル。あらゆる執着はすてるヨロシ。コレ、中国人の知恵。』
 アンゴラウサギの毛沢東の口からも、老人のようなしゃがれ声がもれた。
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一行目の「戸がぱたんと閉(た)てられる。」というのは、この少しあとにもまったく同じ文がでてきます。
これは展開がくり返し(天丼)になるので、そのきっかけとなる文も同じものにしたためです。
動物たちがいきなり人語をしゃべりだしますが、なんでかという理由は明かされません。「そういうもの」というふうに流されます。こういうのはナンセンスの一種なので、理由がわかってしまうと白けるんですよね。
個人的にアンゴラウサギの「毛沢東」のベタベタな中国人口調が好きです。毎回「コレ、中国人の知恵」とくわえるところとか。当初はもっと老人口調にしようと思ったのですが、そうすると心がぴょんぴょんする某作品とかぶるので、こうなりました。


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 部屋から、スーツを着た五十代の男性がでてきた。
「あ、企業戦士さん、これからですか?」
「おや、ZOO君もご苦労だね。」
 喉の奥で幾重にも響かせたような、魅力的な低い声で男性が答えた。
 ロマンスグレーの豊かな髪を、自然に七三にわけている。黒縁のウエリントン眼鏡が、その顔に刻まれた皺を魅力的に飾っている。身にまとっているスーツの生地は、グレーフランネルのチョークストライプ。体に無駄なくフィットしていることから、既製服(つるし)ではなく採寸をとった仕立て服であることがわかる。ドレスシャツの首まわりにも隙がなく、ボルドーのソリッドタイがきりりと結ばれていた。
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なんと、またもや新キャラは中年!
この作品は売る気があるのか、という気がします。
この企業戦士というキャラは、つぎの話数で活躍(?)するので、ここではあまり書くことがありません。
服装の描写については完全に僕の趣味が反映されてます。ようはクラシック好みということですね。

このあとに「せやねん」というジャージ姿の女性がでてきて、高橋にドロップキックをかますところで今回の話は終わっています。
せやねんについてもつぎの話数で活躍(?)するので、ここではあまり書くことがありません。(おい)

ということで、今回の解説は以上です。
内容的にとくにひねったところがないので、ずいぶん短く終わってしまいました。毎回これぐらいの解説量なら楽なのですが。

第5回の解説はこちら。

アキハバラ∧デンパトウの4話公開

ガンガンGAにて、本日10月29日、アキハバラ∧デンパトウの4話が公開になりました。
ケダモノとおっさんがわんさかでてきます。
よろしくお願いしますね(^^) ←意地の悪い笑顔

近日中に、また解説をこちらに載せようと思います。
前に書いた解説はこちら↓

執筆前史
1話の解説
2話の解説
3話の解説

それと、ガンガンGAの小説ページの組版が変わったみたいです。
前は一行当たりの文字数が少なかったのですが、現在は文庫本と同じような設定になっています。フォントも。
個人的にはこっちのほうが読みやすくて好きです。

主副並行会話文を書く上でも、一行当たりの文字数が多いほうがいいので、うれしいですね。
文字数が少ないと、台詞途中で改行することになるので、主台詞と副台詞のつながりがわかりづらくなっちゃうことがあるんですよね。
僕は小説を書くとき、一行42文字の設定で書いて、文庫本になったときに見やすくなるように気をつけているので、ガンガンGAでもそうなったのはうれしいです。
サイトの進歩とともに、自分の小説も進歩していきたいものです。

それはそうと、僕の大好きな成人マンガ家の先生たちがホストクラブに行ったそうです。
Togetterでまとめられてた。

もうガチで好きなマンガ家さんばかりなんですけど!
僕ぐらいの変態になると、好きなマンガ家さんたちが一緒にいるというだけで昂奮してきますね(^^) ←狂気の笑顔
書いてる人

藍上 陸(らんじょうりく)

藍上 陸(らんじょうりく)
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小説書いてます。

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