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「聲の形」に見る山田尚子監督の「不安定=揺れ動き=瑞々しさ」の演出

待望の「映画 聲の形」の円盤が発売となりました。




まだご覧になってない方に配慮して、ストーリーの部分には触れないで演出の部分で思ったことを少し。
山田尚子監督は現在のアニメ界において――というより映画界全体においても、極めてまれな演出家だと思います。
まだ三十代前半ながら、これほど特異な演出力を持っている人は少ないでしょう。天才だと思う。

「けいおん!」の一期のころは、山田監督の個性というよりも各話演出の人たちの奔放な演出が印象に残ったのですが、けいおんの二期や映画を経験するなかで、どんどん監督の個性が研ぎ澄まされていったように思います。
その一つの到達点が「たまこラブストーリー」だと思うのですが、今回の「聲の形」ではさらに演出の深化が見られました。

本作に限りませんが、個人的に感じる、山田監督の演出の特徴をいくつかあげてみますと、

●キャラのポージングに特徴をだす。(シルエットにしたときに映えるポーズ)
●キャラが中心から外れた構図や、少しかたむいたような構図など、不安定な構図を多用する。
●一カットごとの尺やサイズの変化も大きく、「ポン寄り」するときですらキャラの位置が横にずれたりするなど、意外性のある映像が多い。
●被写界深度の浅いシャローフォーカスの映像や、カメラぶれ、フォーカス送り、レンズ収差など、実写のカメラを意識した見せ方をする。
●足や手などをアップにして、キャラの感情を表現する。
●アクションつなぎやカットの連続性にはかならずしもこだわらず、カットのつなぎに飛躍が発生するときがある。
●シーンによって色味を変えたり、撮影処理で光を巧みに表現して、古ぼけた感じや、コントラストのある映像を作る。
●花のみのカットや、花とキャラを組み合わせたカットを差しこむ。花言葉などに意味を持たせて象徴のように使うこともあれば、「ただ花を映す=無生物の視点の混入による物語の異化」のようなものを狙うことも?


もちろん、これらの一つ一つは山田監督だけがやっているというわけではありません。
もともと京都アニメーションはセルに色を塗る仕上げ会社として始まったためか、色彩設計や撮影処理の細かさに定評があるため、上記の特徴のうちのいくつかは、ほかの京アニの演出家にもまま見られます。

しかし、これらの演出を山田監督のタッチでおこなうと、「不安定=揺れ動き=瑞々しさ」とでも言うべき、固有の魅力がフィルムに定着します。

ときおり作中にイメージカットみたいなのがインサートされたりするところもそうなのですが、ちょっと音楽PVみたいなところがあって、そういう意味では新海誠さんっぽいところもあります。
物語を素直に直線的に語るというより、時系列を前後させたり、場面の点と点をつなぐように飛ばして見せていくところとか、今回は目立ちましたね。

ほかの京アニの監督――たとえば武本康弘監督や石立太一監督などは、ロジックのしっかりとした強度のある映像を好み、いわば男性的な演出をするのに対し、山田監督はいかにも女性的な映像のように見受けられます。
もっとも、山田監督本人はそういう性差による見方を否定しているし、同じ京アニ出身の監督である高雄統子さんは、女性ながらもどちらかと言えば演出は山田さんよりも武本さん寄りな気がするので、やはり性差を持ちだすのはよくないのでしょう。

また、山田監督は京アニ演出陣のなかでも、セクシャルな演出をあまり厭わない人でもあります。
今作でも、前半の見せ場である、教室で石田将也と西宮硝子が喧嘩する場面とか、そこはかとなく性的な匂いが感じられます。
ほかにも、高校生の石田将也の自転車の後ろに植野直花がまたがっているとき、短いスカートから覗くふとももを強調するようなカットを作ったりとか。
前にこのブログで書いた、あずにゃんのパンチラ未遂問題もそうなのですが、無理してサービスしてる感じじゃないので、「女の子のかわいさをだそうと思ったら、自然と性的な部分が見えることもある」というお考えなのかもしれません。
エロとかサービスがしたいというより、女の子の魅力をだしたいからこうするという感じでしょうか。

絵コンテは山田尚子さん・三好一郎さん・山村卓也さんの三人で分担して描かれていますが、前半の山田監督のパートがやっぱり一番特徴がでてますね。
山田監督は、「けいおん!」の1話のときでもそうだったのですが、京アニ演出陣のなかではアオリのアングルを積極的に使われる印象です。
三好さんとかは、さほどアオリは使わずに、アイレベル・アングル(目高)が多いように思います。

小林さんちのメイドラゴン」の8話の山田演出回もそうだったのですが、山田さんの演出ってほんと独特です。
昔の北之原演出回みたいに、ちょっと見るとすぐに山田さんだってわかる。
個人的に、「どうしてこのタイミングでそこを映すんですか!?」と思うことがよくある。
昔、なにかのインタビューだったかイベントだったかで、石原立也監督が「山田さんは感性で撮ってるから」みたいな趣旨のことをおっしゃって、山田さんが「私だって理論で作ってます!」と答えていたように記憶してますが、たぶんアニメ業界の多くの演出家は山田さんの演出を見て頭を抱えてると思う。(よい意味ですよ)

「映画 聲の形」に話をもどすと、作画的には西屋太志さんのデザインがすごく自分の好みでした。氷菓のころからファンです。
西屋さんのキャラデは、最初の「日常」をべつにして、わりとキャラの骨骼がしっかりしてるというか、ちょっと骨張ってるような感じがあって色気がありますね。
堀口悠紀子さんの、ぷにっとしたものとはだいぶタイプがちがうと思う。
小学生時代のキャラもかわいい。植野直花のビッチ小学生っぽいところとか。

余談ですが、高校生の植野が西宮硝子の補聴器を奪ってはしゃいでいるあたりの原画は石立太一さんだと思う。
体全体が大きく動くところとか、いかにも石立作画っぽい。あの動きにやられました。
……すみません、さっきから植野にまつわることばかり書いてますが、植野が好きなんです。
スタッフのあいだでも、だいぶかわいがられてそう。

植野といえば、ここではストーリーの部分には触れない予定でしたが、一つだけ。
尺の問題もあると思うのですが、原作にあった、植野が石田将也に恋心を抱いてるという要素をなくしたのは正解だと思いました。
この映画もちゃんと見れば、植野が西宮硝子に嫉妬してる(=石田が好きだ)っていうのはわかるようにできてるんですけど、告白シーンをなくして、恋愛要素を直接持ちださないようにしたのがよかった。
恋心をキャラの行動動機として打ちだしてしまうと作品を狭くしてしまうことがあるし、とくに本作の場合、テーマ的に恋愛要素はなくてもいいと思うんですよね。
尺を伸ばせるマンガならばともかく、映画としては恋愛要素をオミットしたことで筋が通ったと思う。
まぁ、そもそも植野は俺の女だし。

「聲の形」という作品なので、「音」についても、もちろんすごいこだわりがあると思います。
が、劇伴やダビングや声の芝居についてレビューするのってすごい難易度高いので、だれかやってください。(他人任せ)
色彩設計や撮影処理や背景についても、自分にくわしく語る能力がないので、だれかやって。(他人任せ)


なんかいろいろ書きましたが、結局とっちらかったエントリになってしまいました。
まだ自分のなかでこの作品や、山田尚子監督のことをとらえきれてないのです。
もっと情報集めて、いつか追記・修正するかも。

いやぁ、それにしても植野はビッチかわいいね!
あ、でも結絃きゅんのことも大好きです!
雨のシーンで、片目で上目遣いになってるところとかめっちゃかわいかったよ!
書いてる人

藍上 陸(らんじょうりく)

藍上 陸(らんじょうりく)
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小説書いてます。

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