「七つの大罪 聖戦の予兆」3話の石井俊匡演出

個人的に注目しているA-1 Picturesの演出家、石井俊匡さんについてまた書こうと思います。
過去にも二度とりあげました。

「僕だけがいない街」2話の石井俊匡演出
「四月は君の嘘」18話の石井俊匡演出

今回とりあげるのは、「七つの大罪」のアニメ二期(というより番外編?)である「七つの大罪 聖戦の予兆」です。
七つの大罪は原作マンガのほうは読んでいるのですが、一期のアニメはまだ観ておりません。
今回の二期は番組編成が特殊で、まず「アルスラーン戦記」の二期を8話までやって終わらせたあと、残り4話を「七つの大罪」の二期に当てるというものでした。

アルスラーン戦記は一期・二期ともに観ておりますので、七つの大罪も引きつづき録画しておりました。
石井さんは3話の絵コンテ・演出をされております。

さて、石井さんは、構図に強い意図をこめる演出をされることがありますが、この3話でも見られました。

七つの大罪 聖戦の予兆3話①


右側に立つピンクの服を着た「ディアンヌ」が、街の復興を手伝っているシーン。
自分の正体が巨人族であることを街の人たちに告げ、場に緊張が走ります。
このとき、向き合う両者のあいだに、積みあげられた煉瓦の柱があり、「壁」のような役割を果たしています。
これにより、両者の懸隔をあらわしているわけですね。(煉瓦の柱というより、壁の一部かも)

上記カットのまま、じわっとT.Bしながら、十秒ほど会話がつづけられます。
左側にいる街の人たちが、「あのときはひどい仕打ちを……」とディアンヌに謝罪の言葉を述べます。

そのあと、ディアンヌのほうから一歩を踏みだして煉瓦の柱を通りすぎ、落ちていたハンマーを拾って渡してあげます。

七つの大罪 聖戦の予兆3話①
七つの大罪 聖戦の予兆3話①・②
七つの大罪 聖戦の予兆3話②
七つの大罪 聖戦の予兆3話④
七つの大罪 聖戦の予兆3話⑤
七つの大罪 聖戦の予兆3話⑥

「ハイ。はやく作業をつづけないと陽が暮れちゃうよ?」

この「煉瓦の柱」を通りすぎることで、両者を隔てるものはなくなり、過去のわだかまりが消えたことを示しています。
とてもよい演出だと思うのですが、しかし一連の引用画像をよく見てみると、「煉瓦の柱を通りすぎた演出上の意図」が少々わかりづらい組み立てになっているようにも感じられます。

それは、ディアンヌが一歩を踏みだして煉瓦の柱を通りすぎたあと(3枚目)、ディアンヌを背中側から映しているからです(4・5枚目)。

どうしてディアンヌを背中から撮ったのでしょうか?
たとえば、「僕だけがいない街」の2話では、石井さんは以下のようにわかりやすく「木の壁」を通りすぎさせております。

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「通りすぎる前」と「通りすぎた後」が同じアングルで描かれているため、一目で「両者の心の距離が縮まった」という演出意図が伝わります。

どうして今回はこのようにしなかったのでしょうか?
それは、話の流れ上、ディアンヌが落ちているハンマーを拾ってさしだすアクションを描かなければならなかっためと思われます。

ここで一つ問題が起きます。

ディアンヌがハンマーを拾いあげる画を入れてしまうと、視聴者に一瞬「このハンマーで街の人を殴るのか?」と思わせてしまうおそれがあるのです。
そんなバカな、と思われるかもしれませんが、「無言で鈍器を拾いあげる」という映像は、強烈な連想を視聴者にあたえます。
たとえ一瞬だけでも視聴者にそういう懸念をいだかせてしまうと、この和解のシーンのよさが台なしになってしまいます。

そこで、ディアンヌを背中から撮ることにしたのだと思います。
ハンマーを拾いあげる姿を直接的に描かないようにするには、こうするしかありません。
ようやくハンマーが描かれるのは、街の人たちに「ハイ。はやく作業をつづけないと陽が暮れちゃうよ?」といいながら手渡す6枚目のカットになってからです。ここまでくれば、もう誤解は生じません。

このカットの組み立ての結果、「煉瓦の柱を通りすぎる」という演出意図が少しだけわかりづらくなっていますが、こういう繊細な配慮はとても大切なことだと思います。

また、今回観ていて感じたのですが、石井さんのうまさは絵コンテだけでなく、演出処理の部分にもあるようです。
一カットごとの作りが丁寧ということと、カットをつなぐ編集がうまいということですね。
編集感覚というものを静止画で伝えることは難しいのですが、たとえば以下のシーン。

七つの大罪 聖戦の予兆3話⑦
七つの大罪 聖戦の予兆3話⑧
七つの大罪 聖戦の予兆3話⑨
七つの大罪 聖戦の予兆3話⑩
七つの大罪 聖戦の予兆3話⑪
七つの大罪 聖戦の予兆3話⑫
七つの大罪 聖戦の予兆3話⑬
七つの大罪 聖戦の予兆3話⑭


おなかがすいたと答える「キング」の手をディアンヌがとり、駈けだすところ。
キングのみぞおちのあたりを撮っていたカメラが、ショットサイズそのままに、カットが変わるとディアンヌの後頭部を撮る形に変化します。
そしてディアンヌのツインテールの髪が一瞬キングの目を隠し、そのまま右方向へ流れていきます。
この「目隠し」を入れることで、そのあとのキングのおどろいた表情がより際立つというしかけです。

また、この髪が尾を引くことによって、ディアンヌが急に動きだしたことがちゃんと視聴者に伝わるようになっています。
たぶんこの髪が残っていなかったら、速すぎてディアンヌがなにをしたか視聴者に伝わらなかったでしょう。

この一連の動きの編集感覚がすばらしいと思いました。
一カット一カットの長さが適切で、これ以上速くても遅くても、よい効果を生まない気がします。

このあとに起きる、ディアンヌとキングの追いかけっこ開始のときもそうですね。

七つの大罪 聖戦の予兆3話⑮
七つの大罪 聖戦の予兆3話⑯
七つの大罪 聖戦の予兆3話⑰
七つの大罪 聖戦の予兆3話⑱


うーん、静止画じゃ伝わらないですね、やっぱり。
ぜひ実際に映像をご覧になっていただきたいと思います。

キングの台詞が終わらないうちに急に駈けだすディアンヌのスピード感がよく表現されています。
とくに1枚目から2枚目に移るとき、ディアンヌの後頭部だけを映すことで、動きだしのスピード感をあげています。
それから3枚目・4枚目ではカメラを引いて、視聴者になにが起きたかわかるようにしています。
「寄ったカットでスピードをあげて、引いたカットで説明する」というふうに、めりはりをつけています。
ここら辺の感覚がとても心地よい。

画像はカットしますが、教会の前で、キングの頭に煉瓦が落ちてくるところもいいですね。
唐突でありながら、音の効果も相まってちゃんと理解できるようになっている。

また、石井さんの場合、バトルなどでも安易にダブルアクションやトリプルアクションで強調することをせず、しっかりした編集感覚のもとにアクションつなぎで一発で魅せるところがいいなぁと。

この話数はほかにも、結婚式のシーンで投げられた花びらが、カットごとに流れる方向を変えてメリハリをつけていたりするところとかよかったのですが、引用画像が厖大になるため省略します。

それと、キングがディアンヌに「記憶がもどっているんじゃないか」とたずねるシーンも、教会のステンドガラスがぼうっと光ってとても綺麗なのですが、これも省略します。
説明するまでもなく、観た人はだれもがよいシーンだと思うはずなので。

最後にとりあげたいのが、物語のクライマックスである、二人で城壁のへりに腰かけるシーン。
二人の動きが、一カットのなかで八秒にわたって丁寧にえがかれます。

七つの大罪 聖戦の予兆3話19
七つの大罪 聖戦の予兆3話20
七つの大罪 聖戦の予兆3話21
七つの大罪 聖戦の予兆3話22
七つの大罪 聖戦の予兆3話23
七つの大罪 聖戦の予兆3話24
七つの大罪 聖戦の予兆3話25
七つの大罪 聖戦の予兆3話26
七つの大罪 聖戦の予兆3話27
七つの大罪 聖戦の予兆3話28


アニメーターさんが相当がんばったカットだと思います。
動画を挟まないで、ぜんぶ原画で描いているのではないでしょうか。

派手なアクションシーンとはちがい、なにげない動きのように見えますが、リアルな演技が要求される難しいカットです。
通常であれば作画の省エネのため、最初から二人がすわった状態からシーンをはじめるか、すわるしぐさの途中でカットを割って済ますと思います。(すわる過程を省略する)

どうしてたいへんな労力をかけて一カットで見せたかというと、やはり重要なカットだからです。
じつは、この3話の冒頭で、二人はいっしょに花火を見ているのですが、そのときキングはディアンヌのとなりに腰かけることはできませんでした。

七つの大罪 聖戦の予兆3話29
七つの大罪 聖戦の予兆3話30


それが話の後半では、キングはちゃんとディアンヌのとなりにすわれるようになった――二人の距離が縮まって向き合えるようになった、ということを演出で強調する必要があったわけです。
いっしょにすわるしぐさを、カットを割って見せてしまうと、その重要性が見えづらくなってしまいます。
こういうふうに一カットのなかで時間をとって一連の動きを見せてこそ伝わるのだと思います。


以上、石井さんの演出を自分なりにとりあげてみたのですが、やっぱりいいですね。
演出に一貫性があって、品が感じられます。

タイプ的に、静止画をならべても魅力を伝えやすいということも、素人批評家としては助かるところです。
たとえば、大沼心監督や石原立也監督のような方々の演出は、批評するときに動画形式で引用しないと、そのよさが十分に伝えられない気がします。
ご両者とも何度かこのブログでもとりあげようと思ったのですが、自分の実力では静止画だとうまく魅力を解説できないのです。

かといって、GIFとかで動画をブログに載せて解説するのは著作権的に「引用」の範疇に入るのだろうか、という懸念があります。(たぶん平気だとは思うのですが)

一方、この石井俊匡さんや高雄統子監督のようなタイプは、もちろん映像で示すのが一番魅力を伝えられるのですが、今回のように画像を何枚か貼って説明していく形であっても、僕のような素人でもあるていどは魅力を伝えられる気がします。

どちらのタイプの演出がすぐれているかという話ではなく、魅せ方の傾向がちがうのですね。

自分の勉強のためにも、これからもアニメの記事をちょくちょく書いていけたらと思います。
書いてる人

藍上 陸(らんじょうりく)

藍上 陸(らんじょうりく)
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小説書いてます。

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