スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

高雄統子演出の「部屋」

もうじきデレマスの二期がはじまるので、前回に引きつづき、高雄統子さんの演出について。
今回は、個人的に感心しながらも反省させられた、部屋のなかの演出です。


とりあげるのは、アニメ「THE IDOLM@STER」(2011年・錦織敦史監督)です。
高雄さんはシリーズ演出をつとめてらっしゃいますが、20話では絵コンテも担当されています。(演出は原田孝宏さん)

この回は「如月千早」の挫折と復活を描いた、シリーズ屈指の回です。
画面の作り方が完全に高雄調で、クレジットを見るまでもなく高雄さんが絵コンテをやってるとわかるほどです。

マスコミによって過去の事件が暴かれ、千早はショックで歌えなくなり、自分の部屋に閉じこもります。

アイマス20①


上記引用画像で、手前にある携帯電話が、千早とは反対を向いていることに注目してください。
携帯は仲間とのつながりを意味しますが、その携帯が遠くにあり、そっぽを向くように反対を向いているということは、「仲間とは話したくない」という意思の表れです。

そこへ、仲間である春香が訪れ、また一緒にダンスレッスンを受けようと誘います。

アイマス20②
アイマス20③


ここでは、カメラは春香の目の高さに合わされています。
いわゆる「目高(目の高さにカメラをすえる)」というものです。
これがもっとも標準的なアングルなので、「ふつう」の感じが映像にでます。
春香の表情を見ても、まだ事態を深刻にとらえきってない感じがでています。
また、目高で春香の顔を映すということは、ここでは春香がメインであることを示しています。
一方の千早の姿は、下記引用画像のように、カメラがずっと引いた状態で映されております。

アイマス20④


途中、一度だけカメラが少し千早に寄りますが、表情は隠されたままです。
つまりこの場面では千早はメインではないということです。

ここでは、春香の説得は空回り気味に失敗します。
そして少しあとに、もう一度春香が千早の部屋を訪れる場面が訪れます。

アイマス20⑤
アイマス20⑥
アイマス20⑦
アイマス20⑧


はじめに蛇口、廊下、携帯……とテンポよくショットが切り替わり、引用画像最後の部屋の情景が映しだされます。

なんと、この隅っこで千早が膝を抱えているカットが、16秒ほどもそのまま映されます。
動きは一切ありません。止め絵です。
その止め絵のあいだ、蛇口から水がぴちゃりぴちゃりと落ちる音と、外をクルマが走る音だけが聞こえます。
ふつう、止め絵で十数秒も流されたら、視聴者は退屈して長く感じられるものですが、このシーンは長く感じません。
レイアウトがいいんですね。描かれてあるものは少ないのに、情報量が多い。

高雄さんの得意な、明暗を使った意図がよくでています。
千早が闇に溶けこむように、部屋隅で膝を抱えている。
それとは正反対の光のさす場所に、携帯電話が置かれている、という対比が効いています。
ここでも、仲間とのつながりを示す携帯は千早とは反対のほうを向いています。

しかし、僕がここで一番感心したのは――というより、多いに反省させられたのは――千早の部屋が、以前と変わらず綺麗なままである、ということでした。

千早は長いあいだ、この部屋に閉じこもっています。一人暮らしですから、だれかが掃除をしてくれるわけではありません。話題のアイドルですから、そうそうゴミ出しにもいけないでしょう。
こういう状況であれば、演出家(というか物語を作る人間)はついつい、千早の部屋をゴミで散らかしたくなるものです。

昔は綺麗だった部屋が、千早の心境の荒れ具合を示すように、どんどんゴミが増えて雑然としていく……という演出が、まっさきに浮かぶものなんですね。
画面的にもわかりやすく映えますし、「痛ましさ」が伝わってきやすい映像です。

実際、僕なんかは一連の流れを追いながら、いつゴミが増えるのかと思って観てました。
しかし、千早の部屋は終始綺麗なままです。
僕は当初、「部屋が汚れるのは千早のキャラに合わないからかな」と思ったのですが、少し考えてちがうと思い直しました。

高雄さんは逆に、この物の少ない、殺風景ともいえる綺麗な部屋を長回しすることで、「千早の苦しさは一切変わってない。ストレスは発散されていないのだ」ということを示そうとしたのではないでしょうか。

千早の部屋は、引っ越し当初のダンボールがいまでも廊下に積まれているような状態で、千早にとってはいわば「仮の住処」というものです。
望んで一人暮らしをしたのではなく、両親の離婚によって、やむをえずここで暮らさざるをえなくなってしまったのです。

そのころから部屋の雰囲気が変わってないということは、「千早の、家族にまつわる苦しさは、引っ越した当初からずっと変わっていないのだ」ということを示すことになります。

それを強調するために、16秒ものあいだ止め絵を示したのでしょう。
通常の短いカット割りでは、その意図は読みとれなかったと思います。

さて、長い止め絵のすえに、部屋に「ピンポーン」とチャイムが鳴ったあと、カメラが千早に寄ります。この点、一回目の訪問とはちがいます。

アイマス20⑨


そしてカットが切り替わって、外の春香にカメラがまわりますが……。

アイマス20⑩
アイマス20⑪


春香の顔は映されません。
一回目の訪問のときのような、標準的なアングルの「目高」ではないのです。
あきらかに意図的な演出で、一回目の訪問との対比を狙っています。
顔が映されなくなったことで、このシーンは春香の反応がメインではないことが伝わります。
そして春香の呼びかけにより、千早の表情がアップで映されます。

アイマス20⑫
アイマス20⑬


つぎのカットでは、ついに千早が正面を向きます。

アイマス20⑭


これまではずっと千早は横からのアングルで下を向いていましたが、ここにきてついに正面を向き、春香のいるほうを見ます。

この一連の流れにより、「一回目の訪問とはちがって、今回は千早の反応を映すのがメインなんだよ」ということがはっきり示されたことになります。

うまいですねぇ。

視聴者はふつう、こういったテクニックを意識しながら観ることはないでしょう。
しかしなんとなく、「一回目の訪問と、二回目の訪問ではなにかがちがう」と感じると思います。
映像の作り方として、二回目の訪問のほうが、圧倒的に千早に感情移入できるようになっているんですね。

「説得」のシーンというのは、しばしば誤解されますが、「説得する側(春香)」だけを丁寧に描いても不十分です。
むしろ「説得される側(千早)」に、いかに視聴者たちを感情移入させるか、が大事なのだと思います。
いくらシナリオがよくても、演出が平板だと説得力がでません。
「対比」や「象徴」などを使ったメリハリをつけた映像にしないと、視聴者の無意識に訴えて情感を喚起することはできないのです。


なお、「アイドルマスター シンデレラガールズ(デレマス)」の7話で、「本田未央」がアイドルをやめようとするのを、プロデューサーが説得するという流れがあります。
この回は、絵コンテを高雄統子さん、演出を原田孝宏さんがつとめております。上記アイマス20話と同じコンビですね。

しかしデレマス7話では、アイマス20話ほどの成功は収めていない気がします。
批判めいたことを書くのは心苦しいのですが、その理由はやはり、視聴者が未央へ感情移入することが難しかったせいだと思います。

未央の「勘ちがい」については前々から伏線があったのですが、まさかそれがこれほどの大事になるとは思いませんでしたので、面食らった視聴者も多かったのではないでしょうか。

むしろアイマスと比較するなら、20話ではなく、「星井美希」がスネてアイドルを辞めるといいだす12話と比較すべきでしょうか。(絵コンテは吉岡忍さん、演出は間島崇寛さん)

このアイマス12話は、構造的にデレマス7話と少し似ています。脚本はどちらも髙橋龍也さんです。
しかしアイマス12話のほうは、話の調子としては比較的明るく、「肩すかしをくらった美希がスネて、プロデューサーを困らせる」という調子になっています。
たしかに重大な話ではあるのですが、シナリオ的にも演出的にもあまり深刻にならないような配慮がされています。

しかしデレマス7話はかなりシリアスな調子になっており(色調によくあらわれています)、アイマスファンとしてはどうしても20話の千早回を連想してしまいます。

シリアス度を高めるのなら、シナリオ的にもっと未央に感情移入できるような流れを作ったほうがよかったと思いますが、尺などの都合で難しかったのかもしれません。
しかも、話が未央個人の問題だけでなく、プロデューサーの過去のトラウマ話も絡んできたので、その点でも印象が分散されてしまいました。

この回の絵コンテを担当した高雄監督はしかし、映像的に未央に感情移入できるような方法を模索してらっしゃいます。

アイマス20⑮


未央がふて寝をしている場面ですが、ここでも未央の動きがしばらく動かないまま止められております。(途中で弟が入ってきますが、未央は動かない)
この部屋も綺麗に整えられていますが、目立つのは、テーブルに載った鏡ですね。
鏡が未央とは反対のほうへ向けられています。
アイドルにとって、鏡はなくてはならない、象徴的な存在です。それが反対に向けられているということは、「アイドルなんてやめてやる」「自分の顔を見たくない」ということにあらわれだと思います。

この部屋のカット、少しあとでもくり返し使われているので、たぶんいろいろな意味が込められていそうです。
画面右端にルービックキューブがありますが、これは3話で「前川みく」が持ってたのと同じでしょうか。色が揃っていないということが、人間関係の不和を暗示しているのかもしれません。
ほかにも、僕が読みとれていない部分もあると思います。

しかし、やはり演出の工夫だけでは限界があったように思います。

おそらくデレマスの二期では、また作中のだれかに「アイドルの危機」が訪れると思いますので、そちらに注目したいと思います。

というか、こういう作品の場合、ドラマを作ろうと思ったら、だれかに「アイドルの危機」を訪れさせるしかないんですよね。
原作に配慮する必要があるので、常套手段である「恋愛」というネタが使いづらいですし。
アイマスのアニメでも、後半で春香と美希とプロデューサーの三角関係的な雰囲気が漂ったときがありましたが、けっきょくそちらには流れませんでした。
ガチの恋愛話になってしまうと、報われないキャラのファンたちが怒りますからね。
ゲームが原作にある以上、アニメのほうで勝手にカップルを誕生させるわけにはいきません。

しかも、こういうグループ青春ものの常套手段である、「仲間同士が不和になり、敵対する」というのも、だれかが悪役になってしまう以上、使えません。
やるとしたら、アイマスの「ジュピター」みたいに、外部に敵を作るしかない。でもけっきょくジュピターの男の子たちも好漢だったので、おおきなドラマにはなりませんでした。

となったら、だれかに「アイドルの危機」を訪れさせて、みんなでそれを乗り越える、というパターンぐらいしかないんですよね。
アイマスの映画では、後輩キャラがその展開になりました。

……とかなんとか賢しらなことをこと書きましたが、デレマス二期ではそれとはちがうパターンで物語を盛りあげてくれるかもしれません。
期待です。
書いてる人

藍上 陸(らんじょうりく)

藍上 陸(らんじょうりく)
--------------------------
小説書いてます。

最新記事
カテゴリ
月別アーカイブ
検索フォーム
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。