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翻訳の問題

まとめサイトさんでこんな記事を発見。

海外読者「ラノベは誰がどのセリフ喋ってるのかわからん」

これ、前に自分も「アキハバラ∧デンパトウ・第2回解説」で同じような問題をとりあげました。
(解説ページの「小説の場合は、どうしても台詞を書く手法が限られてしまいます。」の段あたりからです)

また、以前とりあげた、大橋崇行さんの「ライトノベルから見た少女/少年小説史」でも、平坂読さんの「僕は友達が少ない」の英訳版を引用しながら、日本語→英語に翻訳されたとき、原文の細かいニュアンスがかなり抜け落ちてしまうことを説明していました。

こういうことはラノベだけに限らず、純文学などでもよく起きることのようで、翻訳家としてはその対処に悩むそうです。
英語にした場合、台詞だけだと、しゃべってる人が男か女かもわからない場合がありますからね。
だから、翻訳家によっては日本語原文にはない文言を付け加えたりするそうです。

しかしときにはそれが多くなりすぎてしまい、作家から文句がでることも。
なにかで読んだのですが、大岡昇平の作品(野火だったかな)も、海外で翻訳されたとき、原文にない描写などが勝手に足されてたりしたそうです。切り詰めた日本語のいいまわしだと、そのニュアンスが外人に伝わらないそうな。大岡さんは「勝手なことされちゃ困る」と怒ってましたが。
一方で、外山滋比古さんの「ことば点描」によると、アーサー・ウェイリーによる「源氏物語」の翻訳はかなりの意訳で、原文からはかけはなれたところも多くあったそうですが、それによって海外の人にも意味が理解されやすくなったという利点は無視できないそうです。

意訳とは逆に、「海外→日本語」に翻訳するときは、原文至上主義といった感じで、とにかく逐語的に訳されることが昔はよくありましたね。
昔のロシア文学の翻訳とか、意味がとりづらい場合が多々あったり……。

僕が海外小説が苦手な理由は、読んでてむなしくなるときがあるからなんですよね。
翻訳されたものじゃ、どうせ原文の良さなんてわからないし……とさめてしまうときがあるというか。
海外映画なんかもそうなんですよね。字幕だと字数制限もあるし、けっきょく本当のよさが伝わらない。

そういえば、谷崎潤一郎も、過去に何度もノーベル文学賞候補になっていますが、最終審査で「ほかの候補者と比べて文章力で劣る」とされて落選したことがあるそうです。
あの谷崎がですよ?
絶対に翻訳の問題でしょう。翻訳者が悪いというより、そもそも文章芸術というのは原文のニュアンスを正確に翻訳することが難しいということなのだと思います。
個人的にノーベル文学賞って、平和賞と同じぐらいうさんくさい賞だなぁと思います。
英語話者や、英語に翻訳しやすい言語の作家が圧倒的に有利なんだから。

日本人は、「世界に通用する小説」なんてものを書くより、「日本語の特性を活かした小説」を書こうとしたほうがいいんじゃないかと思っています。
そのほうが文化的貢献度が大きいと思うし。
ライトノベルはその点、かなりへんな文章を書いてもゆるされちゃうところがあるので、日本語ならではの表現ができる可能性があるんじゃないでしょうか。
逆にいえば、たんにへたくそな文章が氾濫したり、狭い世界に閉じこもったオタク的表現がはびこっちゃう危険性もあるわけだけど。

手前味噌ですけど、「ステープリング・テクニクス」なんて、日本語でないとやりづらいと思うし。
こういうの、主語とか時制が融通のきく言語のほうがやりやすいんですよ。
英語とかは構文の規則がもっとしっかりしてるので、やりづらいと思う。
ちゃんと検証したわけじゃないけど、主副並行会話文だって、英語だとやりづらいんじゃないでしょうか。

日本語の自由度というか、あいまいさというか、そういうのを利用してこれからもおもしろいことをしていきたいと思います。
書いてる人

藍上 陸(らんじょうりく)

藍上 陸(らんじょうりく)
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小説書いてます。

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