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いじめの構造

いじめの構造――森口朗

・小説の資料になるかもと思い購入。ページ数が200p以下で活字も大きめなので、ボールペンで線を引きながらでも一時間弱で読めた。現状のいじめ対策を批判し、いじめのパターンを分類して対処法を提案している。
 僕は冒頭から普通に読んでいったのだけれど、ひょっとしたら最終章を先に読んだ方が分かりやすいかもしれない。というのも、最終章で具体的にいじめ対策について著者の意見が書かれていて、そこで著者の立ち位置がはっきりと分かるから。こういう本って著書の立ち位置が分からないと、記述を誤解しちゃったりするからね。
 著者の意見は、いじめ加害者については迅速に警察なども使って厳罰に処そうという考え。ただし、単純な「いじめは絶対悪!」という意見ではなく、大人社会でもいじめは発生しているのだから、学校でもいじめが起きることはやむを得ないし、むしろ無菌状態のまま社会に出すのは危険なので、ある程度のいじめは学校に必要と書いている。

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 問題は、学校にいじめがあることではないのです。
 現在の学校の異常性は、校内犯罪が堂々と行われ、それが「いじめ」の名の下に放置されていることです。
 恐喝、傷害、暴行、窃盗等々ありとあらゆる犯罪が、学校で起こったというだけでいじめとして処理されます。
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 著者は、暴行などのいじめは犯罪として扱い、被害者が証拠を集めて警察に届け出、法によって処罰されるべきと考える。その一方で、

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 刑法上の罪には記載されているが一般社会ではよほどのことがない限り犯罪にならない行為(名誉毀損、侮辱等)や、そもそも犯罪ではない行為(仲間はずれ、集団での無視等)は学校の中で指導する。
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 という提案を述べている。いじめを二種類に分ける考え方。そして学校の対応としては、いじめ加害者については、毅然として出席停止を教育委員会に申請し、それが合意されないときは、加害者を別室に移して授業する、などの対策が必要と言う。しかしこれは懲罰行為ではなく、あくまでも被害者を守るための処置であり、悪質な加害者に対しては、反省文を書かせてクラスや全校生徒の前で朗読させるなどを提案している。
 
 ――とまぁ、こういう意見の人が書いている、ということを呑み込んでから読んだ方がすんなりと頭に入ってくるかと。個人的に見たかったのは、タイトルの「いじめの構造」の「構造」の部分。どういう構造でいじめが起きているか、そこの分析が見たかったんだね。それは前半の方に書いてある。
 藤田英典という学者の『教育改革――共生時代の学校づくり――』という本に依拠しながら、いじめ現象を四つの理念に分類している。

・タイプ1 集団のモラルが混乱・低下している状態(アノミー的状況)で起こる。
・タイプ2 なんらかの社会的な偏見や差別に根ざすもので、基本的には〈異質性〉排除の論理で展開する。
・タイプ3 一定の持続性をもった閉じた集団のなかで起こる(いじめの対象になるのは集団の構成員)。
・タイプ4 特定の個人や集団がなんらかの接点をもつ個人にくりかえし暴力を加え、あるいは、恐喝の対象にする。

 そして、最近よく聞かれる「最近のいじめと昔のいじめは違う」という意見に対して反論、昔からこの四つのタイプは存在していたが、近ごろは「タイプ1」のいじめが増えていると分析する。
 そしてこの藤田モデルに加えて著者は、スクールカーストという概念を導入する。――と、ここからが本書のキモなんだけど、これ以上書いちゃうとほとんど内容書いちゃう感じなので、後は各人が購入して読んでくだせえ。著者本人も認めている通り、この分析も結局は実態を抽象化したモデルに過ぎないので、現実をそのまま映したものではない。いじめの現場は本当にケースバイケースだから。でも一定の説得力を持つし、とくに自分みたいに小説の資料に使えないかなーと思っている者からすると、非常にためになった。やっぱりこういう構造分析って楽しいですよね。
 もちろん、実際にいじめ問題を考える保護者や教師にとってもためになる本だと思う。著者が現状のいじめ対策の稚拙さに対して憤りすぎていて、ちょっと文章の鼻息が荒すぎるところもあるけど、全体としては著者の意見に賛同できるところが多い。部分的には、「いじめ被害者の方がいじめの証拠を採取して警察に届けるっていうのは、法的にはその手続きが正しいのだろうけど、現実的には難しいんじゃ」というような疑問もあるんだけど、たぶん著者は読者からそういう枝葉末節な疑問が出ることはとっくに分かってると思う。細かいところの議論をあえて省いているからこそ、分かりやすい文章になるのだから。
 ちょっと意外だったのだが、最後の最後に「いじめ予防には価値観の押し付けが不可欠である」と述べ、

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 弱い者いじめは卑怯である。人をいじめるのは賤しい行いである。そして、卑怯者や賤しい行いをする奴は、他者から軽蔑されて当然である。このような価値観を明白に提示する規範となると、思いつくのは「武士道」です。
 『国家の品格』が大ヒットした影響でしょうか。若い人達にも、新渡戸稲造『武士道』を読んで感銘を受けたという人が珍しくありません。
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 と、藤原正彦の『国家の品格』を出して、武士道精神によっていじめの対処療法を行うことを提案している。著者は本の冒頭で「苔の生えたオールド右派やカビの生えたオールド左派」に対して、どちらも懐古主義やイデオロギーを振りかざすだけでいじめ対策に役立っていないのと批判しているのだけれど、この武士道というのはいかにもオールド右派という感じではある。そういえば気のせいかもしれないけど、この本のキッパリとした物言いって、国家の品格の語り口と似ている。

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 「武士道フィクション」では、いじめ加害者が軽蔑されることは当然の報いと考えます。いじめが根絶できないのであれば、誰がいじめられるリスクをかぶるのがベターか。
 それは、最も賤しい者です。学力が低い者でもなく、行動がキモイ者でもなく、容姿が醜い者でもない。弱い者いじめをするような賤しい者こそが、クラスメイトから軽蔑され、いじめ被害者になるリスクを負うべきです。
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 と述べている。言うまでもなく、上記の「いじめ」は暴力などの「犯罪」ではなく、無視とか侮辱などの「いじめ」のこと。いじめは完全にはなくならないし、なくしてもいけない。そうであれば、いじめを受けるに相応しい人は、いじめを行う卑怯者である、と。著者は本の中頃あたりで自身の立場として「共同体意識の涵養を重視する」と書いていて、あるいはその根底には武士道精神があるのかもしれない。学校を共同体として考え、自発的にそれを保持する生徒たちの姿勢が必要と思っているのかもしれない。
 もっとも、この本ではむしろ、「いじめを見て見ぬふりをする者も加害者である」という教育再生会議の言葉に対して、「馬鹿も休み休み言ってほしい。傍観者や中立者は決して加害者ではない。子供たちには、『いじめから中立であることの自由』があります」ということを語っている。確かに僕もそう思う。でももしかしたら著者も内心では、自発的に立ち上がって弱者をかばえるような武士道精神を持った子供が良いと思ってるんじゃないかしら。
 この本ではその点は書かれてはいないから穿ちすぎかもしれないけど、ひょっとしたら同じ著者の『戦後教育で失われたもの』という本とかにはそこら辺が書いてあるのかしら。
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藍上 陸(らんじょうりく)

藍上 陸(らんじょうりく)
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