「聲の形」に見る山田尚子監督の「不安定=揺れ動き=瑞々しさ」の演出

待望の「映画 聲の形」の円盤が発売となりました。




まだご覧になってない方に配慮して、ストーリーの部分には触れないで演出の部分で思ったことを少し。
山田尚子監督は現在のアニメ界において――というより映画界全体においても、極めてまれな演出家だと思います。
まだ三十代前半ながら、これほど特異な演出力を持っている人は少ないでしょう。天才だと思う。

「けいおん!」の一期のころは、山田監督の個性というよりも各話演出の人たちの奔放な演出が印象に残ったのですが、けいおんの二期や映画を経験するなかで、どんどん監督の個性が研ぎ澄まされていったように思います。
その一つの到達点が「たまこラブストーリー」だと思うのですが、今回の「聲の形」ではさらに演出の深化が見られました。

本作に限りませんが、個人的に感じる、山田監督の演出の特徴をいくつかあげてみますと、

●キャラのポージングに特徴をだす。(シルエットにしたときに映えるポーズ)
●キャラが中心から外れた構図や、少しかたむいたような構図など、不安定な構図を多用する。
●一カットごとの尺やサイズの変化も大きく、「ポン寄り」するときですらキャラの位置が横にずれたりするなど、意外性のある映像が多い。
●被写界深度の浅いシャローフォーカスの映像や、カメラぶれ、フォーカス送り、レンズ収差など、実写のカメラを意識した見せ方をする。
●足や手などをアップにして、キャラの感情を表現する。
●アクションつなぎやカットの連続性にはかならずしもこだわらず、カットのつなぎに飛躍が発生するときがある。
●シーンによって色味を変えたり、撮影処理で光を巧みに表現して、古ぼけた感じや、コントラストのある映像を作る。
●花のみのカットや、花とキャラを組み合わせたカットを差しこむ。花言葉などに意味を持たせて象徴のように使うこともあれば、「ただ花を映す=無生物の視点の混入による物語の異化」のようなものを狙うことも?


もちろん、これらの一つ一つは山田監督だけがやっているというわけではありません。
もともと京都アニメーションはセルに色を塗る仕上げ会社として始まったためか、色彩設計や撮影処理の細かさに定評があるため、上記の特徴のうちのいくつかは、ほかの京アニの演出家にもまま見られます。

しかし、これらの演出を山田監督のタッチでおこなうと、「不安定=揺れ動き=瑞々しさ」とでも言うべき、固有の魅力がフィルムに定着します。

ときおり作中にイメージカットみたいなのがインサートされたりするところもそうなのですが、ちょっと音楽PVみたいなところがあって、そういう意味では新海誠さんっぽいところもあります。
物語を素直に直線的に語るというより、時系列を前後させたり、場面の点と点をつなぐように飛ばして見せていくところとか、今回は目立ちましたね。

ほかの京アニの監督――たとえば武本康弘監督や石立太一監督などは、ロジックのしっかりとした強度のある映像を好み、いわば男性的な演出をするのに対し、山田監督はいかにも女性的な映像のように見受けられます。
もっとも、山田監督本人はそういう性差による見方を否定しているし、同じ京アニ出身の監督である高雄統子さんは、女性ながらもどちらかと言えば演出は山田さんよりも武本さん寄りな気がするので、やはり性差を持ちだすのはよくないのでしょう。

また、山田監督は京アニ演出陣のなかでも、セクシャルな演出をあまり厭わない人でもあります。
今作でも、前半の見せ場である、教室で石田将也と西宮硝子が喧嘩する場面とか、そこはかとなく性的な匂いが感じられます。
ほかにも、高校生の石田将也の自転車の後ろに植野直花がまたがっているとき、短いスカートから覗くふとももを強調するようなカットを作ったりとか。
前にこのブログで書いた、あずにゃんのパンチラ未遂問題もそうなのですが、無理してサービスしてる感じじゃないので、「女の子のかわいさをだそうと思ったら、自然と性的な部分が見えることもある」というお考えなのかもしれません。
エロとかサービスがしたいというより、女の子の魅力をだしたいからこうするという感じでしょうか。

絵コンテは山田尚子さん・三好一郎さん・山村卓也さんの三人で分担して描かれていますが、前半の山田監督のパートがやっぱり一番特徴がでてますね。
山田監督は、「けいおん!」の1話のときでもそうだったのですが、京アニ演出陣のなかではアオリのアングルを積極的に使われる印象です。
三好さんとかは、さほどアオリは使わずに、アイレベル・アングル(目高)が多いように思います。

小林さんちのメイドラゴン」の8話の山田演出回もそうだったのですが、山田さんの演出ってほんと独特です。
昔の北之原演出回みたいに、ちょっと見るとすぐに山田さんだってわかる。
個人的に、「どうしてこのタイミングでそこを映すんですか!?」と思うことがよくある。
昔、なにかのインタビューだったかイベントだったかで、石原立也監督が「山田さんは感性で撮ってるから」みたいな趣旨のことをおっしゃって、山田さんが「私だって理論で作ってます!」と答えていたように記憶してますが、たぶんアニメ業界の多くの演出家は山田さんの演出を見て頭を抱えてると思う。(よい意味ですよ)

「映画 聲の形」に話をもどすと、作画的には西屋太志さんのデザインがすごく自分の好みでした。氷菓のころからファンです。
西屋さんのキャラデは、最初の「日常」をべつにして、わりとキャラの骨骼がしっかりしてるというか、ちょっと骨張ってるような感じがあって色気がありますね。
堀口悠紀子さんの、ぷにっとしたものとはだいぶタイプがちがうと思う。
小学生時代のキャラもかわいい。植野直花のビッチ小学生っぽいところとか。

余談ですが、高校生の植野が西宮硝子の補聴器を奪ってはしゃいでいるあたりの原画は石立太一さんだと思う。
体全体が大きく動くところとか、いかにも石立作画っぽい。あの動きにやられました。
……すみません、さっきから植野にまつわることばかり書いてますが、植野が好きなんです。
スタッフのあいだでも、だいぶかわいがられてそう。

植野といえば、ここではストーリーの部分には触れない予定でしたが、一つだけ。
尺の問題もあると思うのですが、原作にあった、植野が石田将也に恋心を抱いてるという要素をなくしたのは正解だと思いました。
この映画もちゃんと見れば、植野が西宮硝子に嫉妬してる(=石田が好きだ)っていうのはわかるようにできてるんですけど、告白シーンをなくして、恋愛要素を直接持ちださないようにしたのがよかった。
恋心をキャラの行動動機として打ちだしてしまうと作品を狭くしてしまうことがあるし、とくに本作の場合、テーマ的に恋愛要素はなくてもいいと思うんですよね。
尺を伸ばせるマンガならばともかく、映画としては恋愛要素をオミットしたことで筋が通ったと思う。
まぁ、そもそも植野は俺の女だし。

「聲の形」という作品なので、「音」についても、もちろんすごいこだわりがあると思います。
が、劇伴やダビングや声の芝居についてレビューするのってすごい難易度高いので、だれかやってください。(他人任せ)
色彩設計や撮影処理や背景についても、自分にくわしく語る能力がないので、だれかやって。(他人任せ)


なんかいろいろ書きましたが、結局とっちらかったエントリになってしまいました。
まだ自分のなかでこの作品や、山田尚子監督のことをとらえきれてないのです。
もっと情報集めて、いつか追記・修正するかも。

いやぁ、それにしても植野はビッチかわいいね!
あ、でも結絃きゅんのことも大好きです!
雨のシーンで、片目で上目遣いになってるところとかめっちゃかわいかったよ!

「亜人ちゃんは語りたい」4話の石井俊匡演出

近ごろ体調を崩していてアレなのですが、アニメ「亜人ちゃんは語りたい」の4話の石井俊匡さんの演出を見てちょっと元気になった藍上です。

以前も何度かとりあげましたが、A-1 Picturesの新進気鋭の演出家、石井俊匡さんについての記事です。

……ふと思ったのですが、こんだけ特定のクリエーターをブログでとりあげまくるのって、かなりキモいですね。
ある種のストーカーなのではないか。
まぁ、いにしえよりつづくオタク道の一環だと思ってください。すべては二次元の世界へ解脱するため。

そのうちどっかの新興宗教みたいに結跏趺坐したままジャンプしだすんじゃないかな僕。


さて、「亜人ちゃん」は、ペトス先生の原作マンガも一巻を読んだときとてもおもしろいと思いましたが、アニメにするときにどのへんを演出のポイントとするかを楽しみにしていました。
4話にふれる前に、おそらく監督の安藤良さんが気を遣われているであろうポイントを少し。

この作品は、個性的な亜人の女子高生たちのかわいさが売りの一つだと思うのですが、いわゆるハーレムものの雰囲気とはちがいます。
それは主人公の「高橋鉄男」という高校教師が、「うまい距離感」で女の子たちと接しているからです。

「亜人」という存在は、扱い方によっては外国人などのマイノリティのメタファーとしてとらえられてしまうおそれもある、けっこう難しい題材だと思います。
どうしても受け手の意識が「人間と亜人との立場の相違」に向いてしまうため、見せ方によっては無用にシリアスな感じになってしまう。

それを避けるため、「さらっとした演出」が心がけられているように見えます。

たとえば1話のこのシーン。(絵コンテ・演出=安藤良)

「先生……亜人きらいなの?」
亜人1
亜人2
亜人3


鉄男の言葉を誤解したヴァンパイアの「ひかり」が、「先生……亜人きらいなの?」と落胆した顔でたずねます。
それに対し、鉄男はすぐに「あぁ……いやちがう。誤解されるいい方をして悪かった。むしろ亜人は大好きだ」と説明します。

やろうと思えばもっと深刻にえがくこともできると思うのですが、「間」などをとらずに、さらっと説明しています。
鉄男役の声優・諏訪部順一さんの演技も、なにげない調子のものになっています。

このやりとりは新鮮に感じました。
ここで鉄男がもっと動揺して弁明のような形になってしまうと、物語的に重くなるんですよね。
カットの作り方にしても声優さんの演技にしても、重くならないように注意されています。

これは今回の4話でもありました。(絵コンテ・演出=石井俊匡)

「姉はヴァンパイアらしくないとお思いですか?」
「姉の人間性については、それほど興味はありませんか?」
亜人4話1
亜人4話2


「……そうだな。ちゃんといおう。たしかにあいつはヴァンパイアの性質に即した行動をあまりしない。だがそれでヴァンパイアらしくないといわれると、それはちがう。(略)」
亜人4話3
亜人4話4


今回も、相手から問い詰められたあと、ほとんど「間」を置かずにすぐに鉄男が返事しています。
カットも細かく割るのではなく、落ちついた感じになっています。
鉄男の態度が無造作に見えるようにしているからこそ、話がこれ以上重くならない。
演出的にはいろいろと凝りたくなるところなんですけど、あえてさらっと作っている。
「大人の余裕」というものがこの作品の重要なポイントになっていると思います。(まぁ、生徒とハグして動揺したりもするんだけど)

原作の雰囲気を守るために、おそらく監督が心がけていらっしゃる部分なのだろうなと。
ここら辺、いまシャフトがアニメ化している「3月のライオン」と好対照をなしていると思います。
「3月のライオン」の場合、原作の雰囲気をだすために、「間」を強調したり「目や口のアップ」を細かく挟むことにより、重い・湿ったムードを演出しています。(いわゆる「シャフト演出」と呼ばれるものですが)

「亜人ちゃん」に話をもどしますと、こういう「さらっとした感じ」をだすために、「ワイプ」も極めてシンプルになっています↓

亜人1ワイプ①
亜人1ワイプ②
亜人1ワイプ③


ふつーにワイプしてます。
最近のアニメではワイプするとき、なにか派手なエフェクトをつけることが多いのですが、音すらありません。
このシンプルなワイプを多用することで、さらっとした感じがでてると思います。

さて、石井さん演出の4話ですが、まずは石井さんの得意な、横の構図を使って「壁」をこえる見せ方をご紹介↓

亜人4話5
亜人4話6
亜人4話7
亜人4話8
亜人4話9


Aパート、女生徒から陰口をいわれて傷ついている雪女の「雪」を、鉄男が助ける場面。
二人のあいだに窓枠があり、二人をわかつ「壁」のようになっています。
鉄男がその窓枠をこえて雪に近づくことにより、「助けた感じ」が強まっています。

この4話、Aパートがわりとシリアスな展開であるということと、石井さんが演出をしているということもあり、じつはいつもより「さらっと」はしてなかったりします。けっこう劇的です。
Bパートになるとこれまでと同じような雰囲気にもどるので、ストーリーに合わせてあえて雰囲気を変えたのだと思います。

ちなみに雨のシーンで全体の彩度を落とすというやりかたは、A-1 Pictures内では「高雄カラー」とか呼ばれてたりするようです。(アイマスの映画のコメンタリーより)
キャラの気分と天気をリンクさせるやりかたは、まさに高雄統子監督のデレマスでもよく使われておりました。
石井さんと高雄さんは、演出の方向性がちょっと似ている気がしますね。

この4話で見られた「アジサイ」の使い方も、ちょっとデレマスを思わせます↓

亜人4話27


ハサミで切られてしまった「青いアジサイ」は、陰口をいわれて傷ついている「雪」を示しています。
しかしそのあと、以下のカットがでてくることにより、雪の救済が暗示されます↓

亜人4話28


ネットで調べてみると、アジサイにはいろいろな花言葉があるそうです。
カラーセラピーランド」さんによると、ピンクのアジサイの花言葉は「元気な女性」というものだそうです。
ピンクのアジサイは「ひかり」を示しているんでしょうね。
こういう花の使い方はちょっとデレマスを思わせます。

話をもどして、以下のシーンでも、「壁」を乗り越えるやりかたが見られます。
鉄男の同僚教師の「佐藤先生」が、「柱」を通りすぎて鉄男にずんずん近づいていきます↓

亜人4話10
亜人4話11
亜人4話12
亜人4話13
亜人4話14
亜人4話15


思いきり人物を左右にふっているので、左側にいる佐藤先生の移動がとても印象的になります。
石井さんはこのように、キャラを横に動かすやりかたにおもしろい特徴が見られます。

……が、今回はそれだけでなく、「縦の構図(動き)」にも意欲的に挑戦されています。

亜人4話17


すみません、静止画じゃまったくわからないでしょうが、上記の場面では二人がこちらに向かってずんずんと歩いてきます。
このとき、歩くスピードに合わせて背景が後ろへ流れていきます。
実写にたとえると、カメラが後ろにバックしながら、そこへ向かって二人の役者が進んでいく形になります。

アニメの場合は昔から、こういう移動撮影は苦手でした。
カメラが動いてもパースの変化がないため、不自然になりやすかったんですね。
「背景動画」という手法をとればいちおうパースの変化も実現できるのですが、通常の背景と塗り方がちがったりして違和感がでやすい。

実写監督でいうと、固定カメラが基本の小津安二郎のような演出はアニメでも実現できますが、移動撮影+長回しの多い溝口健二のような演出は、アニメでは非常に難しかったわけです。

しかし最近では3DCGをうまく使うことにより、背景を動かすこと(カメラを動かすこと)が以前よりもやりやすくなったみたいです。
アニメ会社でいうと、「Production I.G」や「ufotable」などが昔から意欲的にそれをやっている印象です。

画像は割愛しますが、女子トイレのシーンでも、ひかりが前にでるときに背景が動くところがありました。
ひかりが前進することを効果的に示したかったのでしょう。

従来の石井さんの演出では、こういうふうに背景を動かすやりかたはあまり見られませんでした。
新しい挑戦が見事に実っています。

また、「縦の構図(動き)」といえば、Bパート後半にはこういう新しい見せ方もありました。

下校時に、たまたま鉄男と、ひかりの妹の「ひまり」がいっしょになるシーンです。
ひまりは、鉄男と姉のひかりが仲良くしていることが気に入りません。
その二人のあいだに、白い線が引かれて「壁」が作られています↓

(※以下の引用画像は連続したものでなく、特定のカットだけをピックアップしたものです)
亜人4話18
亜人4話19
亜人4話20
亜人4話21


これまで横の構図でやることが多かった「壁作り」を、ここでは縦でおこなっております。
引用画像ラストの俯瞰カットとか、白い線によって二人の懸隔がよく表現されていますね。

また、二人が歩いている坂道に「○」の滑り止めがあることにご注目ください。
これは「ひまり」の心の荒れ方をあらわしていると思われます。

しかしこのあと、鉄男の説明により、ひまりの心から警戒心が薄れていきます↓

「……ぐうの音もでない。信じてもいいかも」
亜人4話22
亜人4話23


上記引用画像二枚目のときに、ひまりの顔に徐々に光がさしてきて、鉄男へのうたがいが晴れたことが示されます。
そして、すぐつぎのカットになると、二人は坂道をおりきって平地につき、下にあった「○」の滑り止めが消えます↓

亜人4話24
亜人4話25
亜人4話26


また、二人をわけていた「白い線」も消えて、心理的な壁が消えたことが示されます。
地面の模様を使ってこのように心理描写するやりかたは、自分はこれまで見たことがなかったので新鮮でした。

もっとも、口さがない人は「こんなことやったって視聴者は気づかないよ」というかもしれません。
しかし、こういう演出は視聴者の無意識に影響を与えます。
「理由はよくわかんないけど、なんかいいな」と視聴者が思うとき、そこには演出家の細かい工夫がなされていることが多い。
それがこのようにロジックで説明がつく場合もあれば、演出家の直感で映像を組み立てて成功することもあります。

僕も最初から気づくわけじゃなく、最初に見たときに「なんかいいな。どうしていいと感じるんだろ?」と疑問に思い、そこから何度もくり返し見て演出意図に気づくことが多いです。
石井さんの場合は、ロジックで組み立てながらもマニアックなところに演出が入りこんでいかず、ちゃんとメジャーな映像に仕上がっているところがすごいなと。
作家の一人として自分も見習いたいところです。

この4話、ほかにもおもしろい個所がいろいろありまして、たとえば冒頭でまっすぐ傘をついているカットと、「雪」の足もとがかたむいているカットとの対比とか、佐藤先生のおっぱいとか、いろいろ興味深いのですが、きりがないのでこれくらいで。

あぁ……去年やってた「オカルティック・ナイン」8話の石井演出もとりあげたい……けど……体力……が……。

サイン本

ちょっと最近体調が悪いというか、やたらめっぽう眠くて眠くてたまらない藍上です。
ナルコレプシーなんじゃないかとうたがっております。だったらちょっと阿佐田哲也みたいでかっこいいですね。

アキハバラ∧デンパトウ」の発売のさい、書店様からサイン本の依頼があったので、サインを書きました。
そういえば写真をアップしてなかったと思い、いまさらですが自分のド下手なサインをさらしあげます。(^^)

サイン本写真(縮小)


見よ、このセンスのないデザインを!
へたくそなやつほど色を使いたがる、という「デザインあるある」を思いだします。
それでも一冊一冊心をこめてサインしました。

紙のページにサインするときは落款を押せるのですが、今回はつるつるした面にサインするよう指定をいただいたので、落款はなしにしました。
落款のインクがこすれて、きたなくなっちゃうんですよね。

サインの右上にある青いマークは、電波を受信しているつもりです。
赤いペンで書かれた「デンパでキた!!」という文字は、なんというか、思いつきです。

自分は発狂したんじゃないよ。発狂を自分自身としたんだよ、という僕なりの哲学がふくまれているのであります。(嘘です

「アキハバラ∧デンパトウ」のPV&特典SS

今週発売される「アキハバラ∧デンパトウ」のPVを作っていただきました!



ニコニコ動画ではこちら。

すごくうれしいの! めっちゃテンションあがるの!
アキハバラ∧デンパトウは10月15日あたりに全国の書店様で発売されます。

なお、全国の「アニメイト・とらのあな・ゲーマーズ・メロンブックス」の各店で購入された方には、特典の「書き下ろしSSリーフレット」がプレゼントされます。
4店舗とも、それぞれちがう内容のちがうショートストーリーとなっています。

しかも、以下の店舗で購入された方には、秋葉原限定のSSがつきます。

・アニメイト秋葉原店
・とらのあな秋葉原店A
・メロンブックス秋葉原店
・ゲーマーズ秋葉原本店
・K-BOOKS秋葉原新館
・COMIC ZIN 秋葉原店
・アキバソフマップ1号店
・書泉ブックタワー
・有隣堂ヨドバシAKIBA店
・三省堂書店アトレ秋葉原1


たとえば「メロンブックス秋葉原店」で購入された方は、「メロンブックスのSS」にくわえて「秋葉原限定SS」もつきます。
ショートストーリーはぜんぶで五種類書きました。文庫本二ページほどの短いものですが、どれもおもしろいものになったと思います。

リーフレットもとてもしっかりしたものなので、ほんとおすすめです。

特典SS


特典SSについての詳細は、GA文庫ブログをご覧くださいませ。
発売日が迫ってきてやたらとテンションがあがっている藍上でした。

「七つの大罪 聖戦の予兆」3話の石井俊匡演出

個人的に注目しているA-1 Picturesの演出家、石井俊匡さんについてまた書こうと思います。
過去にも二度とりあげました。

「僕だけがいない街」2話の石井俊匡演出
「四月は君の嘘」18話の石井俊匡演出

今回とりあげるのは、「七つの大罪」のアニメ二期(というより番外編?)である「七つの大罪 聖戦の予兆」です。
七つの大罪は原作マンガのほうは読んでいるのですが、一期のアニメはまだ観ておりません。
今回の二期は番組編成が特殊で、まず「アルスラーン戦記」の二期を8話までやって終わらせたあと、残り4話を「七つの大罪」の二期に当てるというものでした。

アルスラーン戦記は一期・二期ともに観ておりますので、七つの大罪も引きつづき録画しておりました。
石井さんは3話の絵コンテ・演出をされております。

さて、石井さんは、構図に強い意図をこめる演出をされることがありますが、この3話でも見られました。

七つの大罪 聖戦の予兆3話①


右側に立つピンクの服を着た「ディアンヌ」が、街の復興を手伝っているシーン。
自分の正体が巨人族であることを街の人たちに告げ、場に緊張が走ります。
このとき、向き合う両者のあいだに、積みあげられた煉瓦の柱があり、「壁」のような役割を果たしています。
これにより、両者の懸隔をあらわしているわけですね。(煉瓦の柱というより、壁の一部かも)

上記カットのまま、じわっとT.Bしながら、十秒ほど会話がつづけられます。
左側にいる街の人たちが、「あのときはひどい仕打ちを……」とディアンヌに謝罪の言葉を述べます。

そのあと、ディアンヌのほうから一歩を踏みだして煉瓦の柱を通りすぎ、落ちていたハンマーを拾って渡してあげます。

七つの大罪 聖戦の予兆3話①
七つの大罪 聖戦の予兆3話①・②
七つの大罪 聖戦の予兆3話②
七つの大罪 聖戦の予兆3話④
七つの大罪 聖戦の予兆3話⑤
七つの大罪 聖戦の予兆3話⑥

「ハイ。はやく作業をつづけないと陽が暮れちゃうよ?」

この「煉瓦の柱」を通りすぎることで、両者を隔てるものはなくなり、過去のわだかまりが消えたことを示しています。
とてもよい演出だと思うのですが、しかし一連の引用画像をよく見てみると、「煉瓦の柱を通りすぎた演出上の意図」が少々わかりづらい組み立てになっているようにも感じられます。

それは、ディアンヌが一歩を踏みだして煉瓦の柱を通りすぎたあと(3枚目)、ディアンヌを背中側から映しているからです(4・5枚目)。

どうしてディアンヌを背中から撮ったのでしょうか?
たとえば、「僕だけがいない街」の2話では、石井さんは以下のようにわかりやすく「木の壁」を通りすぎさせております。

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「通りすぎる前」と「通りすぎた後」が同じアングルで描かれているため、一目で「両者の心の距離が縮まった」という演出意図が伝わります。

どうして今回はこのようにしなかったのでしょうか?
それは、話の流れ上、ディアンヌが落ちているハンマーを拾ってさしだすアクションを描かなければならなかっためと思われます。

ここで一つ問題が起きます。

ディアンヌがハンマーを拾いあげる画を入れてしまうと、視聴者に一瞬「このハンマーで街の人を殴るのか?」と思わせてしまうおそれがあるのです。
そんなバカな、と思われるかもしれませんが、「無言で鈍器を拾いあげる」という映像は、強烈な連想を視聴者にあたえます。
たとえ一瞬だけでも視聴者にそういう懸念をいだかせてしまうと、この和解のシーンのよさが台なしになってしまいます。

そこで、ディアンヌを背中から撮ることにしたのだと思います。
ハンマーを拾いあげる姿を直接的に描かないようにするには、こうするしかありません。
ようやくハンマーが描かれるのは、街の人たちに「ハイ。はやく作業をつづけないと陽が暮れちゃうよ?」といいながら手渡す6枚目のカットになってからです。ここまでくれば、もう誤解は生じません。

このカットの組み立ての結果、「煉瓦の柱を通りすぎる」という演出意図が少しだけわかりづらくなっていますが、こういう繊細な配慮はとても大切なことだと思います。

また、今回観ていて感じたのですが、石井さんのうまさは絵コンテだけでなく、演出処理の部分にもあるようです。
一カットごとの作りが丁寧ということと、カットをつなぐ編集がうまいということですね。
編集感覚というものを静止画で伝えることは難しいのですが、たとえば以下のシーン。

七つの大罪 聖戦の予兆3話⑦
七つの大罪 聖戦の予兆3話⑧
七つの大罪 聖戦の予兆3話⑨
七つの大罪 聖戦の予兆3話⑩
七つの大罪 聖戦の予兆3話⑪
七つの大罪 聖戦の予兆3話⑫
七つの大罪 聖戦の予兆3話⑬
七つの大罪 聖戦の予兆3話⑭


おなかがすいたと答える「キング」の手をディアンヌがとり、駈けだすところ。
キングのみぞおちのあたりを撮っていたカメラが、ショットサイズそのままに、カットが変わるとディアンヌの後頭部を撮る形に変化します。
そしてディアンヌのツインテールの髪が一瞬キングの目を隠し、そのまま右方向へ流れていきます。
この「目隠し」を入れることで、そのあとのキングのおどろいた表情がより際立つというしかけです。

また、この髪が尾を引くことによって、ディアンヌが急に動きだしたことがちゃんと視聴者に伝わるようになっています。
たぶんこの髪が残っていなかったら、速すぎてディアンヌがなにをしたか視聴者に伝わらなかったでしょう。

この一連の動きの編集感覚がすばらしいと思いました。
一カット一カットの長さが適切で、これ以上速くても遅くても、よい効果を生まない気がします。

このあとに起きる、ディアンヌとキングの追いかけっこ開始のときもそうですね。

七つの大罪 聖戦の予兆3話⑮
七つの大罪 聖戦の予兆3話⑯
七つの大罪 聖戦の予兆3話⑰
七つの大罪 聖戦の予兆3話⑱


うーん、静止画じゃ伝わらないですね、やっぱり。
ぜひ実際に映像をご覧になっていただきたいと思います。

キングの台詞が終わらないうちに急に駈けだすディアンヌのスピード感がよく表現されています。
とくに1枚目から2枚目に移るとき、ディアンヌの後頭部だけを映すことで、動きだしのスピード感をあげています。
それから3枚目・4枚目ではカメラを引いて、視聴者になにが起きたかわかるようにしています。
「寄ったカットでスピードをあげて、引いたカットで説明する」というふうに、めりはりをつけています。
ここら辺の感覚がとても心地よい。

画像はカットしますが、教会の前で、キングの頭に煉瓦が落ちてくるところもいいですね。
唐突でありながら、音の効果も相まってちゃんと理解できるようになっている。

また、石井さんの場合、バトルなどでも安易にダブルアクションやトリプルアクションで強調することをせず、しっかりした編集感覚のもとにアクションつなぎで一発で魅せるところがいいなぁと。

この話数はほかにも、結婚式のシーンで投げられた花びらが、カットごとに流れる方向を変えてメリハリをつけていたりするところとかよかったのですが、引用画像が厖大になるため省略します。

それと、キングがディアンヌに「記憶がもどっているんじゃないか」とたずねるシーンも、教会のステンドガラスがぼうっと光ってとても綺麗なのですが、これも省略します。
説明するまでもなく、観た人はだれもがよいシーンだと思うはずなので。

最後にとりあげたいのが、物語のクライマックスである、二人で城壁のへりに腰かけるシーン。
二人の動きが、一カットのなかで八秒にわたって丁寧にえがかれます。

七つの大罪 聖戦の予兆3話19
七つの大罪 聖戦の予兆3話20
七つの大罪 聖戦の予兆3話21
七つの大罪 聖戦の予兆3話22
七つの大罪 聖戦の予兆3話23
七つの大罪 聖戦の予兆3話24
七つの大罪 聖戦の予兆3話25
七つの大罪 聖戦の予兆3話26
七つの大罪 聖戦の予兆3話27
七つの大罪 聖戦の予兆3話28


アニメーターさんが相当がんばったカットだと思います。
動画を挟まないで、ぜんぶ原画で描いているのではないでしょうか。

派手なアクションシーンとはちがい、なにげない動きのように見えますが、リアルな演技が要求される難しいカットです。
通常であれば作画の省エネのため、最初から二人がすわった状態からシーンをはじめるか、すわるしぐさの途中でカットを割って済ますと思います。(すわる過程を省略する)

どうしてたいへんな労力をかけて一カットで見せたかというと、やはり重要なカットだからです。
じつは、この3話の冒頭で、二人はいっしょに花火を見ているのですが、そのときキングはディアンヌのとなりに腰かけることはできませんでした。

七つの大罪 聖戦の予兆3話29
七つの大罪 聖戦の予兆3話30


それが話の後半では、キングはちゃんとディアンヌのとなりにすわれるようになった――二人の距離が縮まって向き合えるようになった、ということを演出で強調する必要があったわけです。
いっしょにすわるしぐさを、カットを割って見せてしまうと、その重要性が見えづらくなってしまいます。
こういうふうに一カットのなかで時間をとって一連の動きを見せてこそ伝わるのだと思います。


以上、石井さんの演出を自分なりにとりあげてみたのですが、やっぱりいいですね。
演出に一貫性があって、品が感じられます。

タイプ的に、静止画をならべても魅力を伝えやすいということも、素人批評家としては助かるところです。
たとえば、大沼心監督や石原立也監督のような方々の演出は、批評するときに動画形式で引用しないと、そのよさが十分に伝えられない気がします。
ご両者とも何度かこのブログでもとりあげようと思ったのですが、自分の実力では静止画だとうまく魅力を解説できないのです。

かといって、GIFとかで動画をブログに載せて解説するのは著作権的に「引用」の範疇に入るのだろうか、という懸念があります。(たぶん平気だとは思うのですが)

一方、この石井俊匡さんや高雄統子監督のようなタイプは、もちろん映像で示すのが一番魅力を伝えられるのですが、今回のように画像を何枚か貼って説明していく形であっても、僕のような素人でもあるていどは魅力を伝えられる気がします。

どちらのタイプの演出がすぐれているかという話ではなく、魅せ方の傾向がちがうのですね。

自分の勉強のためにも、これからもアニメの記事をちょくちょく書いていけたらと思います。
書いてる人

藍上 陸(らんじょうりく)

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